「帰ってきた少年A」
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2004年3月13日
神戸の連続児童殺傷事件を引き起こした少年A(現在は21歳)が仮退院ながら、社会に復帰しました。7年弱の収容・治療期間でしたが、いちおう社会に適合でき、更生の道を歩むことができるとの判断が下ったということです。この仮退院について、被害者の遺族、そして加害者の両親の手記が新聞に掲載されていました。それぞれの手記には、それぞれの人の心の叫びがあって、とても重く感じられるものでした。
行き過ぎる責め苦
とりわけ加害者の父親の手記は、読んでいてもつらいものがありました。凶悪事件だと加害者の家族には過酷な運命が待ち受けています。両親が自殺したり、あるいは兄弟が散り散りになったりと、悲劇が起こることも多いのです。犯罪的性向が遺伝するわけではないのですから、犯罪者とその家族は別物です。しかし犯罪者の家族にとっては「後ろ指をさされている」という気持ちから逃れられないでしょう。
ましてこの酒鬼薔薇事件では、犯人が当時中学生でしたから、両親の立場は非常につらいものだったと思います。職場も辞めざるをえず、生活はかなり苦しかったのではないでしょうか。この犯人の少年の実名もインターネットで流されていました。親も兄弟も、そしてその住んでいるところも当然特定されました。これでは加害者の家族はいたたまれなかったと思います。
被害者の遺族はきっといつまでもいやされることはないでしょう。それでも加害者の家族が受けるこうした責め苦は、やっぱり行き過ぎだと考えます。もちろん加害者本人は、どのような形であれ、人を殺したことの責めを一生背負っていってもらわねばなりません。それがつぐないというものでしょうが、そのような犯人を育ててしまった両親も同じなのでしょうか。
インタビューを受ける加害者家族
父親や母親の手記は、殺人を犯した息子と一緒に罪を償うという意識があまりにも強く書かれていました。でも本当に両親も一緒に罪を償わなければいけないのでしょうか。この事件があまりにも凶悪で世間を震撼させたものだったから、どこかの無責任な代議士が放言したように、両親も同罪なのでしょうか。もしそうなら、親も同罪とするような凶悪事件とそうでない凶悪事件をどこで分けるのでしょう。
たまたまテレビで見たアメリカの例ですが、オクラホマシティで連邦政府の建物を爆破した犯人の家族は、普通にテレビのインタビューに答えていました。犯人が日頃どのような言動をしていたかとか、答えるほうも冷静でしたが、聞いているリポーターも変に感情を高ぶらせることなく、冷静に質問していたのがとても印象的でした。
「贖罪の言葉」
加害者の家族がやむにやまれない気持ちから贖罪(しょくざい)意識を持つのはある意味で仕方がないにしても、世間のほうから家族に対してそれを求めるのは、どうも釈然としません。とかく世間は、安易に謝罪の言葉を要求し、それが得られないと今度は本気で叩きに回るようなところがあります。警察署前からのテレビのリポートを見ていると、「容疑者はまだ謝罪の言葉を述べていないようです」というコメントがよく聞かれることに、そうした世間の雰囲気がよく表れているのでしょう。
もちろん、わたし自身の中にも「まず謝るべきだ」という気持ちがまったくないとは言い切れません。でもできるだけ冷静に加害者とその家族の問題を考えてみたい、酒鬼薔薇の両親の手記を読みながらそう強く感じています。