子どもの犯罪被害、再び
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年7月19日
先週の「私の視点」には、たくさんのご意見をいただきました。心から感謝申しあげます。わたしがあそこで言いたかったことは、簡単に言うと、ああした事件はいつどこでも起こりうることなので、被害に遭わないように自分たちが気を付けることが一番大切なのではないでしょうか、ということでした。
もしも、あの少年がきわめて特異な場所と特異な時代が生んだ人間(あえてモンスターと書きましたが)なら、その環境を修正することによって犯罪を防ぐということも可能でしょう。しかし、残念ながら、人間の場合にはそれほど簡単に犯罪と環境との因果関係を証明することはできません。どんな社会でも犯罪者は存在するし、残虐な性的趣味を持った人間も存在します。だからこそ、われわれはあの事件を「解説」するのではなく、そういった危険が自分の身の回りにも存在するのだということを認識し、対策を講じなくてはいけないと思うのです。
また起きた少女監禁事件
そこに起こったのが、赤坂で小学6年生の4人の女の子が監禁されていたという事件です。この事件では、女の子たちが殺されなかったのが不幸中の幸いでした。どうしてこんな事件が起きたのか、わからないことも多いのですが、報道から読み取れるのは、犯人が児童買春の常習者だったこと、高校生と思われる女性を使って小学生の女の子を物色していたこと、そして被害者の一人の女の子がそのわなにはまり、友達を誘って渋谷に「小遣い稼ぎ」に来た、というようなことでしょうか。
少なくとも、稲城市から強制的に誘拐されたのではありませんから、いかに犯人が巧妙にだましたとはいえ、女の子たちに通常の警戒心があれば簡単に防ぐことができた事件だったように思えます。小学6年生といえばまだ子どもではありますが、いろいろな知識は持っているはずです。つまり、彼女たちは自分のやっていることをある程度わかっていたのではないでしょうか。だからこそ、彼女たちも親には「渋谷に行く」ことを内緒にして出てきたのでしょう。
もちろん、児童買春するような大人がいることは、社会的な大問題です。児童買春は刑事罰の対象になる行為ですが、刑をもっと重くすることも必要かもしれません(わたしはレイプの刑罰も、もっと重くするべきだと考えています)。でも、それだけで十分ではないでしょう。犯罪を犯す人間は、結局は罰の大きさよりも、その犯罪行為から得られる利益(あるいは快楽)の誘惑に負けるケースが多いからです。つまり、どんなに刑罰を重くしても、犯罪を犯す人間は必ずいるのです。
社会というところは100%安全なところではないからこそ
そうなると一番重要なのは、被害に遭わないためのリスク管理というか、心構えを親も子も常に持っておくことではないでしょうか。先週「他人を見たら泥棒と思え」と書いたことで、読者の方からきつい批判を浴びましたが、わたしは他人をうかつに信用してはいけないということを子どもに教えなければいけないと思います。悲しいけれどそれが現実でしょう。
要するに、「自分の身は自分で守らなければいけない」と思うのです。警察は事件が起きなければ動かないのですが、被害者にとってみれば事件が起きてからでは遅いのです。今回の長崎の事件といい、赤坂の事件といい、どちらも「性」の絡んだ事件のようです。性が絡めば絡むほど子どもには説明しにくくなりますが、児童や幼児がときにそういった「性」の対象になるということも、親や学校はきちんと教えなければならないのかもしれません。
こういった事件が起きるたびに、加害者の責任(場合によっては加害者の親の責任)を追求する声、そして、被害者(あるいは被害者の親)を悼む声があがります。しかし、こういった事件を目の当たりにしたとき、わたしたちは自分たちが被害者(あるいは被害者の親)になる可能性を考え、そうならないための自衛策を考えなければいけないと思うのです。世の中、そう悪い人ばかりではないとはいっても、社会というところは100%安全なところでは決してないからです。
関連リンク
「『社会の安全』をどう守る?−大阪小学生殺傷事件をめぐる大きな問い(「私の視点」2001年6月16日)
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「少年」は現代社会の生んだモンスターか?―長崎幼児誘拐殺人事件に寄せて―(「私の視点」2003年7月12日)
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ewomanサーベイ「犯罪に巻き込まれたことはありますか」
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ewomanサーベイ「子どもの予期せぬ行動が心配?」(古荘純一さん)
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