世界の現実を承知していますか?─国連は「世界政府」ではない─
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2004年2月14日
世の中に嘘はいっぱいあります。大きな嘘ほどばれないとも言われたりしますが、いま世界で話題になっているのは、イラクが大量破壊兵器を保有しているかどうかをめぐるアメリカ、イギリスの「嘘」です。ブッシュ米大統領やブレア英首相は、世界平和に対するイラクの脅威は差し迫っていると強調して、ついにイラク攻撃を国連安保理のお墨付きを得ないままに強行してしまいました。しかしその「差し迫った脅威」が本当に存在したのかどうかが疑問視されています。
「確たる証拠」と安全保障
米軍が懸命に探しても、イラクの大量破壊兵器は発見されていません。捜索の責任者は「開戦当時には大量破壊兵器は存在していなかった」と米議会で証言しました。これを受けて、ブッシュ大統領は「フセインは大量破壊兵器をつくる能力があったから、世界にとって脅威だった。それを取り除くというわたしの決定は正しかった」と言葉を変えてきました。
国と国の関係は、わたしたちの社会から類推してモノを言うと、ちょっと危険な部分もあります。たとえば「確たる証拠もなしに」といいますが、実のところ一国の内情について「確たる証拠」などというものが存在するのか、といえばかなり疑問です。本来、国というものはそういった情報を出さないようにすることに必死であるはずだからです。それが安全保障というものでしょう。
アメリカの嫌う「国際社会」
世界という社会には「警察」も存在しません。合理的な疑いがあれば、ある国に乗り込んで捜査する権限を与えられた警察官はいないのです。イラクに大量破壊兵器の査察団は入っていましたが、それとてもイラク政府の許可なく動き回ることはできませんでした。要するに、国連はすべての国を超える国際政府ではないのです。安易に普通の社会の類推でモノを言うのは危険であると考えるのはこういうところです。
そうであれば、当然のことながら、国際社会がある危険なメンバーに対してできることは限られています。というよりは、「国際社会」という存在そのものが果たして本当にあるのかどうか、という問題にも突き当たります。アメリカのいわゆる新保守派(ネオコン)と呼ばれる人たちは、国際社会という抽象的な存在を否定します。その場合、アメリカにとっての「国際社会」とは、米英とか米日、あるいは米ロといった「二国間関係」なのです。ブッシュ政権がたとえば環境問題などに関しても国際的な取り決めを嫌う理由の一部はここにあります。
理想に走る日本人
わたし自身は、国際社会という漠然としたものを認めたいと思うのですが、それでもその社会を過大評価するのは危険だとも思います。なぜならその社会を維持するためのシステムは現実には存在しないからです。国連は「世界政府」ではないし、世界銀行は世界の中央銀行ではありません。国際組織は、場合によって「人類共通の目標」の下に動くこともあるでしょうが、多くの場合は「各国の利益をすり合わせる場」なのです。アメリカが京都議定書から離脱したことにそれがよく表れています。もちろんアメリカの中でも、国際社会の考え方は分かれています。ブッシュ大統領の共和党に対抗する民主党はどちらかといえば国際社会を認める理想主義的な考え方が強いでしょう。
いずれにせよ、国際関係をどのようにすれば、多くの国が幸せになれるかという問題は、21世紀の世界の大きな課題です。わたしたち日本人は、とても理想主義的に考えがちです(憲法問題もそうでしょう)。そうした考え方は世界の他の国から遊離しがちではありますが、現実を承知した上でなら理想主義的な議論にも説得力があります。問題はわたしたち日本人が世界の「現実を承知している」かどうかです。イラク戦争をめぐる国会の議論を聞いていると、政治家の先生たちが現実を承知した議論を展開しているとは思えないのです。