引き際に現れる人柄
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年10月25日
自民党の元首相経験者二人の「定年・引退問題」でもめています。このコラムをみなさんが読まれるころには、もう解決しているかもしれませんが、中曽根元首相の「ゴネ方」には、いろいろ考えさせられました。
軽々しく与えられる特権
まずは、首相経験者の「特権」です。今回の問題も、衆議院比例区で終身第一位にするという特権を自民党が与えたところに問題があるでしょう。首相経験者はそんなに大切にしなければならないのでしょうか。わずか数カ月で首相の座を去った人もいます。女性スキャンダルで辞任した人もいます。「暗愚の宰相」と呼ばれた人もいます。それでも、「元首相」として特権を与えられるのでしょうか。選ぶ国民としては、何か釈然としないものを感じます。
首相経験者はそれなりの敬意を払われるべきであるという議論には、原則的に賛成ですが、だからといって事実上の「終身議員」などという身分を軽々しく与えるべきではありません。終身議員といえば、台湾で中国から逃げてきた議員に、終身議員という身分を与えられていました。今ではそういった人々はほとんどいなくなっているはずですが、それらの議員が台湾の改革に足かせになっているという話を、台湾の人から聞いたことがあります。
もちろん、それとこれとは全然違う話ですが、よわいを重ねて議員の職に固執するかのような様は、あまり美しくありません。終身比例第一位というやり方は、そういった悪習を引き出してしまう愚策だと思うのです。
有権者から権利を奪う行為
もう少しきつい言い方をすると、お年寄りが粘れば若い人の妨げになることも事実でしょう。ということは、若い候補者を出さず、それだけ若い有権者を引き付けられないということにもなるのかもしれません。もっと言えば、有権者から選ぶ権利を奪っているとも言えるのではないでしょうか。
中曽根さんは、憲法改正というやり残した仕事があると言っているそうですが、そんな仕事は別に議員でなくてもできることではないでしょうか。むしろ議員ではないほうが、現憲法に縛られることなく発言できて、好都合かもしれないと思います。
もし地元の支持者が憲法改正のために自分を国会に送り込んでくれると自信があるなら、いっそ小選挙区で立候補されたらどうでしょうか。選挙運動はきついかもしれませんが、知名度は抜群なのだから、ほかの候補者のように運動しなくても大丈夫でしょう。何もやらなくてもいい比例区なんていうのは、どうも潔くなくていけません。
潔い引き際
この中曽根さんの話に、日本道路公団の藤井さんの話を重ね合わせると、「人間は引き際が肝心」と改めて思います。藤井さんのケースで言えば、国土交通省の解任に対して、地位保全の訴訟を起こすようですから、これからさらに泥仕合になるのでしょう。よしんばその訴訟で藤井さんが勝ったとしても、果たしてそれで仕事がきちんとできるのかどうか、はなはだ疑問でしょう。なぜなら民営化推進委員は、藤井さんの非協力ぶりにこれまでも辟易していたからです。
朝鮮戦争のときだったでしょうか、アメリカのマッカーサー将軍がトルーマン大統領に解任されたとき、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と語ったそうですが、職を去らねばならない悲しみや、大統領に対する怒りやあきらめを一語に凝縮したような趣があって、なかなかいい言葉だと思います。軍人だったから潔かったのかどうかわかりませんが、「辞めさせられ方」としては格好がよかったのではないでしょうか。実際、後世の人々はこの解任劇に関してマッカーサーに同情的でもありました。功成り名を遂げた人物は、やはり晩節を汚さないようにしないといけません。
中曽根さんに比べると、引退を早くに表明した塩爺こと塩川前財務大臣は、「人生が終わるまでに教育に関することをしたい」と飄々とした感じで語られていました。その引き際は人柄をほうふつさせ、美しかったと思います。自分の引退がチラチラしている年代に達しているだけに、どうもそういう「美しさ」が気になります。中曽根さん、やっぱり美しく引退しましょうよ。