防衛論議をタブーにするな
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年1月12日
お休みしている間に、不審船の沈没という事件が起きました。日本の海上保安庁の巡視船が追跡し、臨検しようとしたところ銃撃され、問題の船が沈没したというものです。どこの船か、目的が何だったのか、いまだに判明していませんが、状況から見ると北朝鮮の船である可能性が高いとされています。
戦闘の過程で、不審船から2発のロケット弾が発射されました。幸いにして巡視船に当たらなかっため、大事にはいたりませんでしたが、もし当たり所が悪ければ、巡視船の乗組員に相当の被害が出たはずです。銃撃戦の最中に破片による負傷をした乗組員の方には申し訳ない言い方ですが、あれぐらいですんでよかったと言うべきなのかもしれません。
というのは、もしも人命にかかわるような被害が出た場合、日本の国民の反応がいかにも心配だからです。かつて北朝鮮が発射したミサイル(北朝鮮政府は衛星を打ち上げるための実験と説明)が日本の上空を横切ったとき、日本でいっきに北朝鮮に対する反感が高まったことを覚えていらっしゃるでしょう。
あのときは人的にも物的にも被害はありませんでした。しかし私の身近でも、「北朝鮮なんか叩きつぶせ」という声が聞こえました。防衛問題などほとんど無関心な人がそういう過激な発言をするのを見て、ちょっと背筋が寒くなったものです。
常日頃、国の安全を守るとはどういうことなのかとか、戦争という手段を放棄した国はどのようにすればいいのか、という議論をしていれば、もっと冷静な反応ができたのかもしれません。しかし日本では、防衛論議というのは一種のタブーとして扱われてきたのです。それは防衛論議イコール軍国主義という呪縛からいまだに抜け切れていないからだと思われます。
戦争が嫌だという感情はほとんどの人に共通するものであり、それは大事なことだと思います。だからこそどのように戦争を防ぐかというのが、もっとも議論しなければならないことなのではないでしょうか。日本が「平和国家」であり「平和憲法」をもっていれば、それで十分だと思われますか?
立派な軍隊である自衛隊を、いつまでも「自衛隊」と呼ぶことによって、あれは「軍隊」ではないという「自己欺瞞」をしてないでしょうか。武器弾薬を輸送しない後方支援ならば「戦闘行為ではない」というのもやはり言葉の遊びにすぎないのではないでしょうか。私たちが、言葉遊びから離れて自分たちの国や周辺地域の安全をどのように守るかという問題と真剣に向き合ったとき、はじめて中国や韓国との「歴史問題」にも終止符を打てると思います。
その意味で、今回の不審船撃沈という事件は、不審船乗組員の人命が失われたけれども、まだよかったのかもしれません。まだわれわれ国民にとって、日本側に犠牲者が出た場合の心の準備ができているとは思えないからです。みなさんはどのようにお考えでしょうか。