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ベアゼロが象徴していること 2002年3月16日
競争社会の変化を歓迎
今の日本を考えると、何かを間違えてきたのではないかなぁ、とつい思ってしまうのです。 春闘の件に関しましては、今のリストラの多さなどを考えていくと、賃金をあげることばかりではなく、一人でも多くの雇用確保が大切なことのように思います。それがひいては、みんなの心を少しでも軽くし、現状維持の生活ができるという安堵感を与えるように思うからです。
競争社会の変化については、わたしは歓迎です。と申しますのは、今までの日本の競争社会はあってないようなものに思えてならない部分があったからです。わたしの偏見かもしれませんが、コネとツテそして、お金がからめば形だけの競争で、結果は初めから決まっていたのではないかしら、と思えるふしがあったからです。具体的にどのようなことと言われますと、はっきりとしたものを見た訳ではないので困りますが、公機関への就職、あるいは仕事などに関して首を傾げたくなるような思いをしたような気がします。自分の実力以外の力、そういったものに大きく左右されていたのではないでしょうか?
天下りなどというのも、その表れではないでしょうか?(吉田)
就職活動からみえる「変革」
わたしは今就職活動中ですが、相当厳しいです。現在の状況の中、企業が変わろうとしているのがとてもよくわかります。企業は、企業の求める人材を採用しようと必死です。学生は自分のやりがいを重視してそれを主張しています。わたしが想像していた就活とは大きく異なっています。しかし、説明会などで聞く企業の実態はまだ過去の体制から抜けきっていない感じがあります。今が企業にとって、変革の時期なんだなーと痛切に感じています。
今回のベアゼロも変革の時を表していると感じました。同じ業界でもその二極化は顕著に表れており、みんな同じ足踏みで、というわけにはいかないようです。確かに働く側にとってみれば屈辱的かもしれませんが、企業の危機感を社員にわからせる結果になったと思います。そういう意味では日産の例は今までのがんばりを称え、次への活力になったのでは、と思います。
今は日本にとってあらゆる面で変革の時なんだと思います。政治を見てもそうだし、企業も社会もだと思います。今はいろいろなことを整えている途中だから大変だと思いますが、これからの未来のためにわたしたち学生、社会人はがんばらなければいけないのだと思います。おそらく、今やらなければ明るい未来はないように感じます。(tomonekey)
賃金は仕事にプライドを持つ一つの基準
ここ数年物価が下がり続けている中で、ベアの要求を組みたてるということ自体意味がないのでは、と思います。ベアは生活水準維持が目的ですから、物価が下がっているのであれば目的は達成されていると思います。今の賃金において重要なことは、自分の業績に対して透明公正に評価されたものが反映されているかという視点だと思います。
人はパンのみに生きるものではない。自分の仕事にプライドが持てるかが重要。プライドが持てるかどうかの基準の一つが賃金ではないでしょうか。今までの労働組合は大企業に働く男性正社員の生涯保障を目的としているとしか思えない向きがあります。本来のミッションを果たすための改革が労働組合に求められ、これに応えられない限り労働組合の存続は難しいでしょう。(匿名)
実力主義で測れない職種もある
実力主義の給与体系……でもそういう職種だけでしょうか。事務や工場のベルトのスタッフなどの仕事では、自分の能力をアピールしたり、他人より抜きん出ることの難しいものも多いのではないでしょうか。きちんとできて当たり前、ミスしたら非難。企業の中ではそんな仕事のほうが実際多いのではと思います。そんな中で自分の能力を強調しようとすると人間関係に歪みを与えそうな気がします。ということは、初めからそういう職種を選ぶべきではないという、そういう縁の下の力持ち的な事務職を選ぶことは競争社会からの落ちこぼれという図式もできてしまいそうです。
わたし自身は専門職で、企業に所属していたころも、自分の作品を製品の中に残してくることができました。でも、会社としての評価としては、売り上げを記録として申告する営業職よりも低かったように思います。その営業職でさえ、トップのすげ替えによって、浮き沈みが激しいものでした。実力主義といっても、その評価は相対的なものに過ぎません。なのにその相対評価の積み重ねを給与の金額という絶対的なものに置き換えてしまうことには無理があるはずです。
確かに、オフィスの中で年とった頭の悪いおじさんが、何の能力も無いのに幅をきかせているのを見ると頭にきます。実力主義というコンセプトをもって、みんなが本当に払拭したいのは、こういう垢のような個人なのではないでしょうか。年功序列という簡便な平等主義も、企業の日常業務の中では有効であると思います。企業が本当にやるべきことはその破壊ではなく、どこにでもいる無能な個人のリストラを人道的に行なうことだと思うのですが。(匿名)
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