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第2回 奈良房永さん

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弁護士の仕事をしようとアメリカへ飛んだのは、29歳のとき

ニューヨーク生活13年になるという奈良さん。そのスタート時点は、そもそもニューヨークに来ることになったきっかけは、何だったのだろう?

「もっとおもしろい仕事がしたい一心でした。こちらに来る前は日本企業の法務部で働いていたんです。上司にも恵まれ、おもしろい仕事もさせてもらっていました。でも、やっぱり女性にはグラスシーリング(ガラスの天井)がある。入社して1年くらいたったころ、このままずっといたんじゃまずいなあと思うようになって。バブルがはじける前で、ちょっとできる人はみんなMBAを取得するためにアメリカに行くという時代。でも、私は法律に興味があったので、ロースクールの3年間の正規プログラムで勉強することにしました。日本人でアメリカの弁護士資格を取得する場合、1年間のLLM修士プログラムをとって帰国するのが一般的でしたが、こちらの事務所でアメリカ人と同等にやっていくためには、やはり3年のプログラムを出ていないと不利なんです。日本人で米国法律事務所に働く人が増えた90年代以降、このプログラムで学ぶ人が増えました。留学を決意してからは、会社の上司にばれないようにこそこそと願書や奨学金の申請をしたりして(笑)。ちょうど主人も駐在員になるかもしれないということで、どうせ行くんだったら、その間に資格を取って2、3年働いて、日本にもどったらまた日本企業の法務部に就職しようと」

日本企業の法務部ではどんなお仕事をされていたのだろう?

「その当時、法務部では日米通商摩擦問題が花盛りで、私は反ダンピング法や関税問題などを担当していました。海外出張も多く、現地法人の人たちやロンドン・ニューヨークの弁護士と仕事をしていたんですが、そんな中で、クライアントサイドで仕事をするより、弁護士として仕事をした方がおもしろいと思ったわけ。アメリカの弁護士とも仕事をしたことがあったけど、日本企業のために働いているわりには日本企業文化をよく理解していない人が多くて、日本企業の利益を代弁できていないと思った。そのことに不満を感じて、日米通商摩擦問題の中にどっぷりとつかって、私に貢献できることがあればしてみたいと」

日本を飛び出し、アメリカで弁護士になると決断されたのは奈良さん29歳のとき。しかも、すでに結婚していたとなれば、取り巻く環境は、必ずしも好条件ばかりではなかったはず。大きな一歩を踏み出すに当たって、迷いや不安はなかったのだろうか。

「ありましたよ。でも、それを越えるほどのフラストレーションがあったの。一方では背水の陣というところもあった。成田を発つとき、これは泣いて帰ってくるわけにはいかないな、と思ったのを覚えてるもの」

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