

保健所でもらってきました(ホタテ)
わが家で去年の2月まで家族の一員だった犬は、動物愛護センター(通称・保健所)でもらってきました。父の、「犬が本当に飼いたいならお金を出して人に見せびらかさなくても、殺される運命にある犬の中から一匹でも救ってやりなさい」との言葉に、家が一戸建てになった高校一年生の時、母と一緒に探しにいってもらってきたのです。その時、愛護センターの人から犬を飼うにあたってというビデオを一時間ぐらいだったでしょうか、見ること、そして誓約書として犬が小犬じゃなくなったとか、人間の都合だけで捨てることはしないといった文を読み聞かせられ、サインしました。その時は、なんでそこまでとも思いましたが、センターの人たちは命ある動物を人間のエゴで殺すのは本当に忍びない、大切にしてね、と何度も念を押していました。もらってきたうちの犬(コロ)は、約15年の生涯を終え、最期はわたしも会社を早退し、見届けることができました。翌朝、動物霊園で火葬し、そして現在、父方のお墓の敷地内にコロの墓、として一緒に入っています。お坊さんが「コロの戒名はどうしますか?」と聞いてきたのにはみんなで苦笑しましたが、「これからはペットも家族の一員ですからこういうことは増えるでしょうね」と、お経もあげてくれました(ところどころにコロなんたらかんたらと名前が入ったお経だったそうです)。姿形は犬ですが、笑ったり、すねたり甘えたり、人間の言葉もわかるし、飼っていたというより、一緒に生活した中で反抗期のわたしと、家族との軋轢をどれほど埋めてくれたか、など感謝することは数え切れません。心ない行いをする人も後を絶たないため、悲しいニュースを見聞きすると胸が痛みます。どうしてもペットはブランド! と思うのでなければ、動物愛護センターについて知ってもらい、一匹でも多くの犬猫たち(ガチョウとかもいましたよ)の命が救われますように、と願います。
わが家の「にーたろう」(わんたん)
にーたろうは2年前、わが家の前でフラフラになっているところを息子が見つけて連れて来ました。酷く汚れて、痩せた猫でした。もともと猫は好きな一家だったので、まず、動物病院に連れて行き、健康診断をしてもらうと、何と猫エイズと白血病を持っていました。そのためかまったく元気がなく、このまま死んでしまうのかと心配したのですが、先生の細心の治療と、にーたろうの生命力で数度の危篤状態から立ち直り、今ではわが家のアイドルとして毎日を過ごしています。本当に良くしつけされていたのか、トイレも失敗することもなくすんなりと用をたし、爪とぎを置いてあげると、そこで爪を研ぎ、われわれが何のしつけをすることもありませんでした。最初はどこからか迷い込んだのかと思い、保険所、動物愛護団体へと連絡をしたのですが、何の連絡もありませんでした。多分、複雑な病気を持っているので捨てられたのではないかということです。最初にわれわれの前に現れた時の姿を思い出すたびに涙が出るのですが、今では毎日の病院通いのおかげで外見は健康そのもので、誰もがそんなに難病を持った猫だとは気がつきません。わが家の中心になり、みんなが彼のなすことすべてに癒されています。1度自分の一家の一員になったのに、この頃では簡単に都合が悪くなると捨てるという行為をしますが、捨てられた犬、猫たちが一生懸命に餌を探している姿を見ると胸が痛みます。最後まで責任を持って暮らしてあげられないなら最初から飼う資格はないと思います。
見過ごせなくて……(miria・千葉・既婚・34歳)
実家にいた時も結婚してからも何度も拾っています。ほとんど猫で、一度はウサギでした。そのうちの2匹の猫たちは病気でもういませんが、ずっと可愛がっていました。ウサギは実家からの帰り道、車道の側にうずくまっていたのを運転中に見つけ、そのまま連れて帰りました。広報紙で飼い主さんが見つかったので、幸せに暮らしていると思います。動物を捨てたり虐待する人の気持ちがわかりません。言葉が話せないからこそ大切にしたいし、何より自分が一緒にいて幸せだと思います。
命の尊さ(kaho)
目の見えていないであろう老犬が国道の渋滞の中を横断しているのを見て、保護したことがあります。飼い主が見つからなければ、警察、保健所を経て一週間以内には処分されてしまうので、飼うつもりでした。幸い、飼い主の方が見つかり、いい結果となりました。人間に人格があるように、ペットと言えども、生き物にも生きる権利があり、尊い命であることを大人たちは、教育現場を含め、もっと次世代を担う子どもたちに真剣に教えるべきだと思います。拾ったのであれば、どんなことが起きようが最後まで共に生きる覚悟が必要ですね。
黒猫ものがたり(Kylin・大阪・既婚)
ある夜家に帰ると、1匹の黒猫がわが家の玄関にいました。「黒猫がびっこをひいている。かかりつけの獣医に連れて行ってやりたい。車で連れて行ってはもらえまいか?」。嫁はいたたまれずに、連れて来たといいます。こと動物に関しては、嫁は一歩もひかないのを知っていますから、わたしが折れるしかありません。洗濯ネットに包み、頭をタオルで目隠しし、先生・嫁・わたしの大人3人がかりで押さえ込んでやっとの思いで治療しました。こうして治療しても、野に放てばほかの猫との生存競争がある。クロは餌を食べているだろうか?足は大丈夫だろうか?など心配の種は尽きることがない。ならば、常に目の届く場所に置いてやりたい。そして、嫁はこの時ある決意をしました。「クロをウチで飼おう」と……。一旦、待合室に出て10分ほどで先生に呼ばれて治療室に入り、やがて出て来た嫁の目には涙がありました。ある病気のキャリアだったのです。飼うことを許したものの、既存の2匹とは隔離して飼わねばなりません。かくてわが家には、リビングのドアを隔てて、2つの世界が出現することになったのです。
野良猫捕獲大作戦(tottochan・未婚・34歳)
会社横の駐車場にいた野良の親子を、家に連れて帰り飼っています。全部で4匹。会社のあった場所が工事をすることになり、猫たちの居場所がなくなるので捕獲作戦を開始。なついてはいたけれど、やはり野良。全部を捕まえるのに3週間以上もかかってしまいました。今はその子たちのことも考えた物件の家を借り(庭付き、車があまり通らない住宅街)避妊手術も済ませ、みんな元気に過ごしています。捨て犬や捨て猫を飼うというのは大変なことですが、手術だけでも済ませてやりたいなと思っています。この子たちと一緒にいると、優しい気持ちになれます。
捨て犬、捨て猫、何度も拾いました(チャオズ)
子どもの頃はしょっちゅう拾ってました。今は飼ってないけれど、独身でアパート住まいをしていたときに拾った猫が、今では実家で余生?を送っています。かなりの高齢になりました。でも帰るとちゃんと覚えていてくれています。町内会の掲示板には、野良猫にエサをあげないでと張り紙されていますが、都会でも田舎でも野良猫、野良犬になったら一生飢えに苦しむことになります。この状況をかわいそうと言わずになんと言ったらよいのでしょうか。地球は人間だけのものではないはずなのに。もっとうまく共存できたらといつも思っています。わたしの家の近くの駐車場に、野良猫の餌場になっているところがあるのですが、おじさんが毎晩餌やりに来てくれています。本当に頭が下がります。命の大切さを、ぜひ一人でも多くの方に考えていただきたいと思います。

愛犬バロン(シェルビー)
子どもの時には、血統書も何もない、それこそ菓子箱一つでもらって来たMix(雑種ですね)を飼っていました。その頃は、まだ子どもだったし、初めて犬を飼えたうれしさで捨て犬だとか、血統書だとか、そんなことは全然関係ありませんでした。最初の子の名前は「バロン」といって、柴犬メインのMix男の子でした。彼は飼い主の不注意でフィラリアにかかってしまい、晩年は息苦しそうにしてることが多かったです。途中、わたしの家が何回も引っ越したこともあって、バロンは引越し先の家になじまず、一番最初の家までよく一人で戻っていました。「帰巣本能」ですね。半端な距離じゃないんですよ、大阪の最北部(大阪府豊能郡)から箕面の山を越えて摂津市まで。車でも1時間以上はかかる距離です。そんなことを度々くり返していたのですが、彼がちゃんと元の家にたどりつけたのと、前の家のご近所の方が親切に連絡してくれたおかげで、最初は迎えに行くことができました。でも、そのうち、前の家まで自力で帰ることができなくなったんです。家出して、いつものお世話になってるご家庭に連絡しても来てないと……。それで、車で探しに行きました。ドロドロに汚れてやせ細ったバロンを淀川の河川敷で見つけました。首輪には連絡先を書いた迷子札をつけていましたが、連絡はありませんでした。彼は家出していた一週間、野良犬として、餌を得て、寒空の中で寝ていたんですね。家に連れて帰り、きれいにシャンプーをして……。それでも、それがバロンにとって、本当に一番望んでいることなのかどうかわりませんでした。その後はできるだけ庭にはつながないようにしていたんですが、もともと番犬として外で飼っていた子ですので、庭につないで、ちょっと目を離すと、脱走していました。ある日、彼はとうとう帰ってこなくなりました。心あたりを何度も探しましたが、結局、見つかりませんでした。わたしたちは、バロンを捨て犬にしてしまったのでしょうか?いまだに答えが出ず、わたしたち親子を苦しめています。
教訓(plastic)
子どもの頃、通学路にものすごくかわいい子ネコが捨てられていた。普段、とくに動物をかわいいと思うほうではなかったが、その時はなぜか見捨てられず、家に連れて帰りました。でも、帰ってすぐに後悔しました。祖父がなぜか怒り狂い、首と両手足を縛りあげて家の前の木にくくりつけてしまったから。「後で袋に入れて川に流す」と言いながら。子ども心はとても傷つき、何とか祖父の目を盗んで綱をほどいて元の場所に返しに行きました。「うちでは何も飼えないな」と、この時からあきらめました。ペットを飼うことは、それがもともと捨て猫、捨て犬であれ、子どもには良い勉強になるだろうに、と子どもの自分が思ったのを覚えている。
里親コーディネーター?(miyaco)
わが家はみな大の犬好き。だけどわが家はペット禁止のマンション住まい。飼うことはできないのです。それなのにわたしは、何度か捨て犬を拾っていました。その時は一家総出で里親探し。父や母は職場で、わたしや弟は学校で「お願いできませんか?」と営業活動です。その間も、できるだけのしつけをしたり、ワクチンを済ませたり。これまで全員、優しい里親さんにもらっていただくことができました。
飼ったことはないのですが(巽・大阪・未婚・41歳)
わたしの実家のほうは捨て犬・捨て猫をあまり見かけないのですが、一度、猟犬がうろついていたことがあります。山間部で、シーズンにはハンティングをする人が来るので、ハンターが捨てていくんだと聞き、驚きました。使い捨て?幸い、その犬は近所の人が飼ってくれるようになりましたが。もうひとつ、緑地公園の管理事務所に勤めている友人の話では、公園によく動物が捨てられていて、ある時、歳をとってリボンを付けた犬が捨てられていたとか。白内障で目が見えなくなっていたそうです。つまり、リボンを付けてそんな歳になるまで飼っていたのに、病気になったから捨てたと考えられるわけで、どっちの例もまるで古くなった家具を処分するみたいな話ではありませんか。使えるうちはけっこう愛着を持つが、使用に耐えなくなると逡巡なく……。「だって、飼った時は最後まで飼うつもりだったのよ。でも飼えなくなったんだからしょうがないでしょ。人間を犠牲にして動物を取るわけにいかないじゃない。人間のほうが大事だもん」と知り合いが言っていたこともあります。こういう時、どう返したらいいんでしょうね。

どうなんだろう(mieko)
今、毎日見る光景で考えてしまうことがあります。毎夜、橋のたもとで、野良猫に餌をあげている50〜60代の女性を見ます。自分の家では飼えないけれど、餌だけを与える。たしかに餌を与え命を助けている。だけどなんの責任もない。餌を与えている場所は残った餌で汚れている。それをただ見ている自分。なぜか、考えてしまうんです。これって、どうなんだろう……と。
「お水が飲みたいよ〜」キャバリアのマロン君(シェルビー)

カブトムシのカブちゃん(teddy)
家の近所で拾った、カブトムシのカブちゃん。カッコいいでしょ?
友人から頂いた洋猫のミックス(umi)
友人から頂いた洋猫のミックスです。親子ですが顔立ちが違います。 お花の方が「うみ」です。もう一匹が「そら」。わが家の大切な宝物です。

うちの(逝ってしまった)ハムスター(初代)です(フィレリナス)


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