
演じることは、自己をつくること(しろりむ・三重・パートナー無・37歳)
「わたしとは誰か?」「わたしのアイデンティティは何か?」。自己の内奥にその答えを求めるのは、たまねぎの皮をむくのに似ている――そんなたとえを聞いたことがあります。つまりどんなに探しても、わたしの中にはわたしというアイデンティティはなく、それはむしろ他者との関係性の中に存在しているというのです。わたしはこの論を読んだとき、目からうろこが落ちるように感じました。実際、わたし自身を振り返ってみても、生徒の前でのわたし、友人の前でのわたし、家族の前でのわたしは全然違います。関係性のなかで違ったわたしを演じているものの、演じている人間はわたしに他ならないのです。しかし、演じていない素(す)のわたしとは何かと聞かれると私自身よくわかりません。でも演じているときのわたしというのはわりによく自分でも把握できているし、自己コントロールもしやすい。演じているから「わたし」でいられるような感覚さえあります。「演じる」ということは自己をつくることだと肯定的に考えています。
心からなりたい自分になる(HITOMI・石川・パートナー有・33歳)
理想は、演じたりしなくても「性格のよさや育ちのよさがにじみ出る」ような人なのですが、今の私は到底そういうレベルではないので(笑)、自分が「なりたいと思う人」に近づけるように演じている気がします。目標は自由なので「母としても、妻としても、会社員としても、いつも明るく、前向きでオシャレで素敵な人」くらい欲張った目標を演じることで、周りの見る目が変わり、そのうち自分自身も演じている人に近づいていける気がします。「私はホントはこんな人間じゃないのに」って思って演じるのは後ろめたいでしょうが、心から「そうなりたい!」と思って演じる事は、素敵なことだと思っています。
本当の自分を見透かされることが嬉しい(ガク・兵庫)
その日の気分に合わせて、洋服やカバン、靴など、自分のイメージを作って確実に演じています。仕事などでは、もっとそうです。営業しているのですが、相手に合わせ、いろんな自分を演じます。そうすることで、人間関係が上手くいくと知っているから。「キャリアウーマン風」「オフタイムののんびり風」「やさしい女性風」……。本当の自分は、ジーンズにTシャツ、元気でたくましい私。演じている日々の中で、本当の自分をちらっちらっと見せられたら、相手にそんな自分を見透かされたら、ちょっと嬉しいのです。あっ、この人、私の事よく見てくれてるーって。そんな関係を作れる人とは長くつきあえますね。
たくさんの顔を持ってバランスをとる(マリンママ・アメリカ・パートナー有・31歳)
演じています。息子を出産した時は妊娠時から息子が1歳になるまで家にいたのですが、そのときは社会との関わりがなくなって自分というものが全くなくなってしまった喪失感のようなものを感じていました。また自分が「ママ」という一つの顔しか持っていなかったので、家で嫌なことがあった時はすごい絶望感を感じました。今は外で仕事をすることによって、家で育児をしている自分が大切にできるようになりました。もう少し余裕がでてきたら、仕事と家事だけではなく自分の趣味や友人と過ごす時間もつくり、もっと自分の顔を増やしていきたいと思っています。たくさんの自分を持てば持つほど心のバランスが取れて、本当の自分に近づけるような気がします。
演じ分けるほうが楽(NS・東京・パートナー有・34歳)
演じています。でもどれも本当の自分だし、接する相手やシチュエーションによって演じ分ける方が、実は楽なような気がします。これって変? 冷めてますか? (強いて言えば、パートナーといるときの自分がいちばん素かもしれず、それは他では抑えているワガママみたいなものが出やすいということでしょうね。)丹下さんと同じくファッションもそうです。休日はカジュアルですが、仕事のときはヒールも履くし、かっちりした服装です。それは仕事上必要だから、というのもありますが、そうすることによってやる気が変わる、スイッチのオンとオフの切替えの役目もあるように思います。
相手を深く知ることができない寂しさ(ATHENIE・福岡・パートナー無・26歳)
時々そう感じるときはありますが、それは主に仕事のとき。プライベートでは感性の赴くまま……ではありませんが、それに近い状態です。近いと言うのは、やはり演じているのではないかと疑い、またそれも良しとする瞬間があるわけです。しかし、人の性格を一面化して見る人が私の周りに多いのか、つかみ所がないと言われたこともあり、そんな時は少し寂しいときもあります。人には本来、いろんな面があるはずですし、あっていいはずだと思います。一面的なのは分かりやすいのですが、自分がそうであるように、彼や彼女もそうなのではないかと思うため、深く知らない、知ることができないことに寂しさを感じるときがあります。