
相手と心を通わせたいという気持ちの表れ(もりぴぃ・埼玉・パートナー有・33歳)
友人がフランス人の男性と結婚しました。よく、「フランス人はプライドが高く、フランス語以外は話さない」という噂を聞きますが、拍子抜けするぐらい、まったくそのようなことはなく、いつも英語で話しかけてくれます。ときには覚えたての日本語の単語を一生懸命使ってまで楽しませてくれます。しかし私はというと、英語もろくに話せないという非常に情けないレベルなので、たくさん話しかけてくれるのに本当に申し訳ない気持ちです。ですので、ご主人とお話がしたい! という単純な動機から、英語を覚えたいという気持ちがいまとてもわいています。お互いの言葉を知ろうとする気持ちは、相手と心を通わせたいという素敵な気持ちの表れではないかなと思います。
自国語を多面的にとらえるきっかけに(よねよね・埼玉・パートナー無・33歳)
みなさんのおっしゃるとおり、「まずは日本語」という意見、賛成です。最近、あまり普通のテレビを見ないのですが、興味を持てなくなってしまった理由のひとつが、出演している人たちの言葉づかいにあるような気がしています。ただ使い方が間違っているだけでなくて、しゃべり方、声のトーン、相手に対する敬意の表し方などに違和感を感じて、疲れてしまうのです。多言語、というよりまず「言語教育」(日本語の)が必要なのかな、と感じます。こんな風に思うようになったのは、私が韓国語の勉強を始めたからかもしれません。自国の言葉を多面的にとらえるきっかけができる、という意味で、英語以外の外国語の勉強をするのは有意義だと思います。
帰属先不明の人間を作らずにできるなら(moma108・東京・パートナー無・32歳)
ただし、条件付きです。海外に長く住んでいた経緯もあって、私の日本語もかなり怪しいのですが、あえて言わせていただくと、日本のバックグラウンドをよく知った上で外国のことを知る、というポジショニングは大事かと。でないと、日本語も外国語も「中途半端にしか使えない人間」のできあがり、となってしまい、最終的にはどこの国に帰属するのか、あるいは、どこの社会に帰属したいのかすらわからない人間を作ってしまうからです。日本語をしっかり習得した上での外国語、という意味でYESに投票いたします。
オーストラリアの多言語教育事情(Kiwiana・オーストラリア・パートナー有・45歳)
私には子どもはありませんが、現在オーストラリアのNSW州で、小、中、高校での日本語教育に関わっているので、その観点から発言します。
NSW州では、小、中、高校で学べる外国語は複数あり、大学入学試験で選択できる外国語は30にも上ります。コミュニティ構成員を考慮した外国語がその地域の学校で教えられており、移民の子どもたちが両親の話す言語を維持するための、母語としての外国語教育も各州の教育省が公的に実施しています。経済的な観点からであっても「移民の母語は財産」と肯定的に評価することによって、複数の言語を理解することのできる国民が増加し、それがこの国の財産になっていくと考えられます。ただし、そのために人口2000万人のオーストラリアが多大な経済的犠牲を払っていることも事実です。
近年外国人子弟が急増し、彼らに対する日本語教育が大きな問題になっている日本では、まだ彼らを「将来の日本の財産」と考える視点がないと思います。日本では、「外国人」というと、いまでも「外国にいる」と思うことが多く、日本国内の、自分たちの身近にいる多くの外国出身の人たちのことを考えることはあまりないのではないでしょうか。日本で「外国語教育」と言ったとき、ほとんどの人は英語を思い浮かべます。英語以外の外国語を教えている学校は非常に少ないのが事実です。日本の英語一辺倒の外国語教育は、「外国語でコミュニケーションする相手は遠くにいる」という意識を植え付けます。英語を学んでアメリカに行こうとは思っても、同じ小学校の教室にいる、中国や韓国、ブラジル出身のクラスメートたちと、その人たちの言語で話してみようと思う子どもはあまりいません。
「自分の子どもの将来のために外国語を学ばせよう」と考えるとき、いったい子どもたちはその外国語で「だれと」コミュニケーションをとるのか、考えてみるべきだと思います。
やわらかい心を持った子どもになるのでは(MIKER・山梨・パートナー無・32歳)
いろんな外国語を話すことができたら、その子どもの世界はぐんと広がり、人生は豊かなものになると思います。しかし、私も3日目に掲載されたリールーさんの意見と同じく、言葉以前に大切なことは健康だと思います。子どもを寝不足にさせてまで外国語を勉強させるのは、本当に考えものだと思います。現在、日本の子どもたちの遅寝、睡眠時間の短さは将来重大な影響が出るのではないかといわれているそうです。心身の発達を助けるために、いろいろな外国語でその国のダンスや音楽、料理など楽しむ機会を作ったり、とにかく、外国語を話す子どもたちと遊ばせるのがよいと思います。語学の感性だけではなく、自分以外の文化を受け入れることができるやわらかい心も養うことができると思います。
日本人両親の元ロンドンで育った知人(la_gracechie・青森・パートナー無・30歳)
私自身、英語が話せるようになりたくて語学留学をし、国内でも勉強しましたが、なかなか上達しないことに、小さいときから多言語の環境で育ったら……と多言語を扱うヨーロピアンの人々を大変うらやましく思いました。ただ、私の知人で小学校高学年のときに、お父様の仕事の都合でロンドンに住み、それから20年近く住んでいる方がいます。彼の会話としての日本語は違和感がないのですが、メールの日本語は「日本人ではない」漢字変換や文法が多々あります。もちろん、語いは、日本語の単語よりも英語の単語の方が多いそうです。彼の弟さんは幼稚園のときの渡英だったそうで、日本語は話せないそうです。彼のご両親は日本人ですし、家庭での会話は日本語だったそうですが……。彼の発言には、多々「だから、日本人は」」というのがありました。何気ない一言でしたが、彼は日本人というよりも、やはり英国人に近い感覚で日本を見ているように感じました。多言語は必要だと思いますが、やはり日本人としてのアイデンティティーと、正しい日本語が使え、話せ、書けての多言語教育ではないでしょうか? ただ、自分に子どもが生まれたら、非常に悩む問題のように思います。

自分の体験を考えても基本的な言語能力が大事(宮子・愛媛・パートナー有・38歳)
日本語(母国語)が十分こなせる状態でなければ、自分に入っていかないのではないでしょうか。同じ県内でも地域で方言やイントネーションががらりと違い、祖父母や近所の人、親などにより、同じ言葉が違う意味で使われたりするので、子どもは混乱しました。ベースになる言葉があったので自分なりに学んだようです。ほかの国の言葉を学ぶにしても、それを解釈する言葉、自分の中に落とし込むための力が弱いと「言葉は知ってるけどうまく使えない、テストの点はいいけど会話ができない」となるかもと思います。
ほかの言語は学習するタイミングがある(興味があるとき、必要なとき)と思います。タイミングが合わなければ、結局時間だけ過ぎることにも……。まずは母国語をきちんと身につけさせたいと思います。
興味や才能を伸ばすことを優先すべき(blueberry53・大阪・パートナー有)
言語は生活や風俗、風習などと密接につながっていると思います。言葉からその国独特の生活や風俗を知り、理解することにつながれば素晴らしいことと思いますが、言葉を覚えるだけでは意味がなく、本当の意味のコミュニケーションには至らないように思います。そして、言葉を学ぶ以前に、外国人に対して(同じ国の人に対してもですが)、相手を個人として尊重する人間性や価値観を適切に育てておかなければ本当の意味の言語教育につながらないのではと思います。無理せず、子どもたちの興味や素敵な才能をすくすくと伸ばさせてあげることを優先させる方がよいのではないでしょうか。