

親の愛(まさみ・大阪・未婚・22歳)
わたしは小学校5年生まで、サンタクロースを信じていました。前の晩はツリーの下にプレゼントがないのに、翌朝には不思議と置いてある。不思議ですよね。学校でもとくにサンタクロースの正体をみんながばらすようなことはなく過ごしていました。小学校6年生の時に正体を知ったのですが、それはもう唖然となるくらいショックでしたね。その後、母親がサンタっだったのを隠してたわけではない、夢を与えるためにしていたと手紙を書いてくれました。子ども心に見る純粋な気持ちを忘れないで欲しいと思いを綴ってありました。今でもその手紙を読み返すと、あの時の自分を思い出します。
いないとわかってうれしかった(ちはる)
小さい時は、信じていました。でも、クリスマスは母と弟と三人でシャンペンとケーキでお祝い。母一人で余裕がなかったため、プレゼントやサンタの行事はありませんでした。周りの子には来てくれるのに、家には来てくれない。子ども心に、「サンタさんは住んでいる家や親を見て、行く行かないを決めているんだ」と悲しく思っていました。ですから、大きくなって「サンタはいないんだ! 」と知った時は(申し訳ないのですが)、「サンタさんが差別していたんではないんだ! 」と、とてもうれしかったのを覚えています。
サンタからの本当のプレゼントは(saji・30歳)
サンタの正体がバレて家族(とくに母と姉)に怒りをぶつけた(笑)その翌年のクリスマスも、わが家のサンタはわたしのところに来て、枕もとにプレゼントを置いておいてくれました。すごくうれしかったけれど、面と向かってありがとう、と言うのも恥ずかしい年頃だったので、朝起きて母親に「サンタさんが来たよ」と報告をした記憶があります。その後もわが家のサンタはちょくちょくやってきました。朝、目覚めた時に枕もとにプレゼントの包みを見つけた時の喜びや、ベッドの中でプレゼントを開ける楽しさ、わたしはサンタクロースからそういう気持ちをたくさんプレゼントされました。
昔の子どもは純粋でした(まどりん)
子どもの頃、プレイヤーにのせていろんなレコードを聴いていました。今はそれらはどこにやったのか行方不明ですが、クリスマスソングのジャケットで鮮明に憶えている物があります。外国の子どもたちが恰幅のいいサンタさんからプレゼントを渡されている写真。ピンクの壁紙の部屋で、金髪の子どもたちと白くたっぷりとしたお髭のサンタさん。わたしはこのイメージをずっと持ちつづけていたように思います。いつまで?というと多分小学校3年ぐらいまでかな?ツリーを飾り、ケーキとあま〜いシャンペン! 母が大切にしてきてくれたわたしのクリスマスです。
パパはサンタクロース(wingnuts)
昨年のクリスマス、夫はサンタクロースになりました。1歳4ヶ月の次女のために………。今年もまた夫が着ることになるであろうサンタの衣装は、クローゼットの奥深くで出番を待っている。「いつか(次女が)サンタの秘密を知る時が来ても、どこかの子どものために、また(サンタの衣装を)着るかも………」と夫。その言葉に妻は、少しばかり感動しました。そんときゃー、アタシはトナカイに化けてお供してもイイ、と思うくらいに………。子どもを取り巻く社会現象や事件の数々………。けっして、夢の中だけの幸福を追い求めてはいられないけれど、子どもたちがいつか大人になったとき記憶の中からそっと取り出せる「クリスマスの思い出」があるように、と願わざるを得ません。
サンタがまちがえた?!(葵上・愛知・既婚・43歳)
子どもが小さかった頃、サンタさんへのプレゼントのリクエストを聞いて、プレゼントしていました。ある年、当時人気だったスーパーファミコンの「ヨッシー」のぬいぐるみをリクエストされて、懸命に探したのですが、どうしても見つからず、違うぬいぐるみをプレゼントしました。当日、プレゼントを見た子どもが、「サンタさん、誰かのと間違えている」と大騒ぎ……。「取り替えられないから、これをもらっておけば……」と納得させました。今では、子どもも大きくなったので、ぬいぐるみを探したけれどなかったということがわかって、笑い話になっています。
サンタへのプレゼント(Kotobuki)
わたしは小学校の低学年ぐらいまでは信じてました。その後少しの間、プレゼントが欲しくて信じてるふりをしてました。うちの7歳と4歳の二人の子どもたちは、しっかり信じているようです。今年はサンタさんにお手紙も書きました。4歳の子が文末に書いた「でも、サンタさんは何がほしいの?」という言葉に、微笑んでしまいました。いつもプレゼントをもらってばかりだから、たまには自分がサンタさんにプレゼントしたい。そんな気持ちにわたし自身はなったことがなかったのに……。サンタ(親)はあったかい心を、子どもからプレゼントされました。
今でも信じたい気分(ammy)
おかしいかもしれませんが、今もどこかで信じているところがあります。小さい頃はもちろん「赤い服を着たおじいさん」としてのイメージがあり、枕もとにプレゼントが届くと「サンタが来た! 」と大喜びしたものでした。大きくなってもずっとプレゼントは枕もとに届き、別に「もうサンタなんて信じない」と言った記憶もないし、親も「サンタなんてまだ信じてるの?」なんて言わず、ずっと夜中にプレゼントを置いてくれていました。そういう、何となく目に見えない暖かい思いがサンタクロースなんだなあ、と今は思っています。今年は結婚して初めてのクリスマス。多分枕もとにプレゼントが届くことはないでしょうが、本当に優しい気分で過ごしたいです。
サンタ好みのプレゼントにがっかり(トトロのとなり・既婚・39歳)
小学校2年の時も、楽しみにしていたんです。翌朝、目が覚めてプレゼントを見たら『福沢諭吉』という本。がっかりして友だちに話したら、彼女のところは素敵なセンス溢れる品々で、この落差を知って、さらに落胆してしまいました。「サンタさんは彼女の方が好きだったんだ」と悲しくなりましたね。結局この本の内容は記憶に残っていません。そしてサンタさんがいないことをしばらくして聞きました。
サンタのジレンマ(mamarin)
6歳の長女は、サンタのプレゼントは絵本にあるようなサンタ工場で作られていると思っているようで、市販のおもちゃが贈られると不思議がります。犬のぬいぐるみの時は工場から来たと非常に喜びましたので、以降、同じぬいぐるみがある売り場へ行かせないようにするのが大変でした。夢を壊したくなかったので。小学生のお母さんたちは入手困難は某玩具をめぐり右往左往、携帯を駆使して情報交換しながらゲット大作戦を展開しています。それを見ると子どもの夢(わがまま?)をかなえるってこういうことなのかと何だか疑問に思います。自分では、朝目覚めた時に枕もとに置いてあるという夢かうつつかという感覚がとてもスペシャルでした。

「それこうたん、おばちゃんやで」(職業指導官・大阪・既婚・36歳)
子どもの頃、1つ上の友だちが、「サンタにこうてもろた」とおもちゃを見せてくれた。「それこうたん、おばちゃんやで」と指摘したわたし。「違う、サンタやてお母さん言うてるもん」「そう言うてるだけで、こうたんおばちゃんやで」このやりとりに途中で疲れてしまった。なんでサンタなんて言うんやろ、信じてしもてるやんか。幼心に、彼女の母親のやり方に疑問を感じた。わたしは、子どもたちに、これは誰それから、と言って渡す。夫の実家は「サンタさん」を言うが、好きにさせている。←親孝行のつもり
冷めた子どもだったので……(シアン)
サンタさんを信じられていただろう年齢の頃は、クリスマスプレゼントといえばブーツの形をしたお菓子の詰め合わせで、しかも家族みんなで買いに行っていたのでサンタクロースはクリスマスキャラの一つだと思っていたんじゃないかな。しかも、非常に冷めた子だったので、友だちとの会話でも「いるわけないじゃん」派でした。大人になって考えてみると、サンタクロースってすごく素敵な存在だと思うのです。わが子は、まだクリスマスがなんであるかさえ理解できないけれど、信じられる間は上手にだまし続けてあげようと思うし、信じられなくなっても、サンタクロースの存在がわたしたちに与えてくれる気持ちを伝えられれば良いと思っています。

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