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今週のテーマ
会議番号:2703
宗教団体はもっと積極的に社会活動を行った方が良いと思う?
投票結果
52
48
184票
171票
この会議への投票・投稿は
募集を締め切りました。
【開催期間】
2009年04月27日より
2009年05月01日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
井上順孝 國學院大学教授
イエスの答え、ノーの答え、双方を通して、やはり日本では宗教団体の活動というものに対して、あまり明確な……
議長コメントを全文読む
2日目までに届いている投稿から...
地域に根付いた行動で理解を (マグノリア・アメリカ・パートナー無・47歳)
新しい宗教が出てくると、いったいどういうものなのかわからないし、また違うカルトだったらどうしようとか不安を持ちます。宗教団体がもっと地域に根付いた行動をとって福祉や、恵まれない人たちのためになるような活動をすれば理解も深まるし、逆にそういった行動を取れない宗教団体は自分たちの利益のためだけに存在するようで信用できません。
納得いかない (ハルヒ・千葉県・パートナー有・32歳)
私の周りにいる人の例ですが、現状を諦めて何か起こるたびに「そうなるって書いてあるもの、やっぱりね」って言われ「もうすぐ近づいているからね」と。それでも、悪い人ではなく『よりよく生きよう』とはされているのを見ると歯がゆいです。その気持ちで繋がっている人たちが政治に乗り出せば、こ〜んな意味不明な政治状況ではないはずなのにって。でも、現世では「徳を積む」ことで生き返る時に……と言われてもこちらは「?」 今をもっと良くなるようにしましょうよ!と言いたいです。
身近な社会活動 (ポーチュラカ・福島県・パートナー無・41歳)
宗教団体の社会活動で思い浮かぶのは、選挙の協力要請、毛布などの寄付、公共施設の清掃などです。どれも世の中をよくしていこうという目的で行われているのですが、継続して協力することが難しいものが多いです。支え合う精神は大切だと思います。
したい気持ちはありますが (鳰・栃木県・パートナー有・55歳)
具体的な社会活動として経済的社会的弱者の救済、病者に対する癒し(病院)、幼児教育(保育園)などがあると思います。実際、実現されているところもあるでしょう。私はキリスト教会員です。日本のクリスチャンは、人口の1%未満です。私の教会には幼稚園がありましたが、園児が激減し20年前に閉園しました。教会は、殆ど教会員の献金によって運営されています。社会活動したくても余裕はありません。宗教団体と一口に言っても様々ですし、私の教会はむしろ社会的には弱者かも。
無言実行で。 (ぴょこん・神奈川県・パートナー無・37歳)
宗教団体の社会活動は、「○○宗教団体が実施しています」とわざわざわかるようにしています。本来、宗教は個人的な信仰ですから、口に出したり態度に出したりする必要はないのです。黙って、自分自身のこころの拠り所であったり、乗り越える課題を実行すればいいと思っています。
キリスト教系のボランティア (ano・東京都・パートナー無・40歳)
私がしっているのは、キリスト教の方がボランティアなどで、貧しい人やホームレスなどの方を助けているぐらいです。ただ、それがどういう理由で行われているのかは、知りません。神道、仏教で言うと、社会活動ではありませんが。オリンピックの時に、お寺でリレーのスタート地点になるのを断ったぐらいです。何故、ボランティアをしたり、しなかったりするのか、解らないのが現状で。そうした活動に自分が何をしたらいいかも解らないところです。
とても難しいですね! (kimirie・兵庫県・パートナー無・38歳)
社会活動……? では、どういったことを? 多分、素直な気持ちで、ボランティア要素を含む活動をしていただいても、多分、その団体のことをしっかりと理解していなければ、「勧誘されないか?」と心配になることもあるように思います。また、我が家でお世話になっているお寺の住職さんは、出来るだけ寄付を集めずに、催しをされたり、それぞれの家庭の状況に応じて、対応されたり、温かいお人柄が伝わる、心の繋がりを広げるように、檀家との関係を築いておられます。
心の支え (lovesnow・山口県・パートナー有・50歳)
宗教は、心の支えであり、いわば観念的な、目に見えてはならない崇高な理念、アルカディアでの活動であり、実際的に、社会貢献だ、政治介入だ、世界紛争だ……と唯物的な事象に関わってはいけないものだと思う。皆違って、皆いい。真実はひとつだが、考え方は、それこそ人間の数だけある。偏ったひとつの理念に囚われて世界を統一する必要はないのではなかろうか。
3日目の円卓会議の議論は...
どんな内容、あるいは目的の活動であったなら、肯定的になれそうですか?
イエスの答え、ノーの答え、双方を通して、やはり日本では宗教団体の活動というものに対して、あまり明確なイメージを描けない人が多いということが、確認されたような気がします。
(lovesnow)さんのように、「宗教は、心の支えであり、いわば観念的な、目に見えてはならない崇高な理念」と考えるのは、一つの宗教理解のあり方でしょう。けれども、社会活動をすることが「偏ったひとつの理念に囚われて世界を統一する必要はないのではなかろうか」ということにそのままつながるのかどうか、もう一度考える必要がありそうです。
かつてマザー・テレサがインドで死にゆく人のために自分の生涯を捧げるような活動をしたとき、多くの日本人はこれを賞賛しました。こういうことはどう考えたらいいのでしょうか。
日本では宗教団体が社会的に関わろうとすると、警戒する傾向が強いですが、宗教団体の側もそれを感じているところがあり、なかなか社会活動がやりにくいということになるようです。
何をしても、「どうせ信者獲得のためだろう」というふうに見られそうで、二の足を踏みがち
だというような話を聞いたことがあります。
(ポーチュラカ)さんは、「宗教団体の社会活動で思い浮かぶのは、選挙の協力要請、毛布などの寄付、公共施設の清掃などです」と述べています。後二者はそうだとしても、選挙の協力要請を社会的活動に含めていいものでしょうか。
そこで、今度は少し違った角度で考えてみてください。
宗教団体が社会活動に関わる方がいいと思う、思わないにかかわらず、どんな内容、あるいは目的の活動であったなら、自分も比較的肯定的に受け止められそうですか?
井上順孝
國學院大学教授
「「スピリチュアルな」と聞いて、良い印象を持ちますか?」
スピリチュアルという言葉は、肯定的で良いイメージを与えるもの?
「熱心な信仰のある人はつきあいづらいですか?」
自分の寛容さが問われているという面もあります
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