ホーム> news & policies > 9.11が変えた「私」と「世界」
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めぐ・東京 2002年9月9日(月) 20時 42分 54秒 世界の行方
正直に言ってしまえば、テロそのものは衝撃ではあったものの、じゃあ、自分の生活がなにか変わったかといえば、朝、起きて、仕事をしてテレビを見て、寝る・・・・何にも変わってない。でも、心のどこかで、あぁ、もう、地球上のどこにいても、100%安心して暮らせるところはないんだな、と言う思いがあの事件以来、くすぶっている。多くの尊い命を、それも何の罪もない命をあんな風に奪うことができる人たちがいるということが、悲しい。私個人の力で何か出来るわけではないけれど、これからの世界の行方だけは、しっかりと見続けて行きたいと思っている。
rio・東京 2002年9月9日(月) 20時 23分 32秒 心の1%でホッとした
アメリカの片田舎に留学していた時、頼まれて育った広島の原爆投下の講演後の苦い状況を思い起こし、少しばかりホッとしました。戦争は善悪を簡単に意識づけるものだと思いますが、今現在議論する場合、善悪の意味づけでは、とても表面的なパフォーマンスと理解するものだと考えています。ですが、原爆投下のせいで戦争が終わった、真珠湾を攻撃した日本が発端だ、だからJAPは!!(10年前ですが意外にもJAPの囁きが通る南部の街で一部の人から差別を受けていました)もちろん、中には心情的に哀しい事だ、他意によって命を落とす最期の姿にふさわしくないと述べる人もいましたが。自分が選び取る権利やらの範囲を超えた、無為のうちに所属しているところで起きたことへの感情の処理がうまくいかなかった事を思い起こしました。
トシ 大阪 2002年9月9日(月) 17時 42分 43秒 テロ
その日は、TVに釘付けでしたすぐにテロだ!と思いましたなぜ!あんなことができるのか・・・悲しくなりましたもう2度とおきてほしくないですね
たっこ 2002年9月9日(月) 17時 20分 38秒 北風と太陽
報復について、昔イソップ物語にあった「北風と太陽」みたいに目的を達成できないものでしょうか?何かむなしさが残ります。強いものが、弱いものいじめているみたい。
ヴォーチェ・愛媛 2002年9月9日(月) 16時 25分 20秒 題無記入
世界中の人の大半が、辛く悲しい出来事だと思い、被害にあった人々は何十年と身体や心に傷を負って生きていくのだと思うとやりきれない気持ちでいる一方で、タリバンなど日頃アメリカに対してよく思ってない人々が映像で喜んでいるシーンが流れていた時は、とても複雑な思いがしました。後者の中に子供もいて、育った環境下でアメリカは悪いと教えられると疑いもなく事件を歓迎するのはとても危険だとも感じました。
イクラ・東京 2002年9月9日(月) 13時 31分 1秒 争っても地球は1つ
あの惨劇から私の中では「平和」の意味を考えるようになりました。今迄はテロや戦争などは自分とは程遠い事だと思い続けていましたが、そうでは無いという事を考え始めました。個人的には誰もが平和に暮らしたいと願っているのに、宗教・民族・国家など集団になるとリーダーの考え方に沿って一つの方向に突き進んでしまう恐さを感じます。敵対する集団に属する人々を殺戮する事に何の罪悪感も抱かなくしている思想や、米同時テロ後は特に「やられたらやり返せ」的発想が多くなってきたようにも思われてなりません。国家間で生じる利害関係が複雑に絡み合う事情も、過去の歴史上仕方の無いことかもしれませんが、今や「世界は一つ」であり、全ての人々が「地球という星の住人」である事を改めて考える時だと思います。先日テレビで米軍の攻撃後のアフガニスタンの模様を伝えていましたが、核兵器は使用していないものの放射能を含んだ兵器による後遺症に苦しむ人々の姿が映し出されていました。もはやそういった光景は他人事でなく、今私達が「平和」だと思っている事の延長線上なのかもしれないと思うようになりました。
F・神奈川 2002年9月9日(月) 13時 23分 40秒 褪せない気持ちだけが真実
相手の攻撃に関する情報を知り得ていたにも関わらず、大義欲しさに犠牲を払うことを選択した可能性があるという報道を最近よく耳にします。もしこれが本当であえば、このアメリカのやり方は、パールハーバー以来ずっと続いてきた軍事大国の生き残りを掛けた判断によるものです。善意のふりをする悪意・・。国民感情を煽り世論に訴えるための犠牲・・・。何となくマコトシヤカに聞こえてきます。しかしホントウのことは分かりません。ウソかホントウか・・・私たちにはわからないことが世の中には多すぎます。TVを介して目にする映像さえも全てを教えてはくれません。そういうところで生きていることをハッキリと教えてくれた事件でした。昨年から少しも色褪せることなく怒りと哀しい気持ちで一杯です。
emichan ・神戸 2002年9月9日(月) 13時 8分 2秒 あなた任せでは平和は実現しません
湾岸戦争もコソボの紛争もアフリカの内戦もあの日までは対岸の火でした。リアルタイムで見ていたニュースの映像も始めのうちは不幸な事故だと思っていました。刻々と分かってきたコトの重大さに、言いようのない不安が胸を塞いできました。あの晩関西には台風16号が接近していて、娘は休校を期待して「お母さん、あした警報でるかなあ」と聞いてきました。わたしは「それはないけど第3次世界大戦の警戒警報が出てるかもしれないよ」と不穏当な言葉を思わず発してしまいました。戦争がわたしたちよりもっと非現実である娘は普段どおり眠りに就きましたが、この子たちの世代、その子どもたちの世代の平和の危うさに心がざわざわしました。子どもたちが希望をもって朝、目覚めることができる……。そんな世界を残してあげるんだと決心した日でした。
ReeRee 千葉県 2002年9月9日(月) 12時 49分 46秒 テロ事件のその後の報道から
テロ事件後の報道で、とても印象に残ったことが2つあります。1つはある遺族が「とても悲しいことだけれど、それでも報復攻撃には反対する」と発言していたこと。家族を失った悲しみを「怒り」という形で昇華させるのではないあの言葉に、とても感銘を受けました。2つめは、報道や教育の重要性です。実際に報復攻撃の犠牲になっているアフガニスタンの人々、子供たち(これはパレスチナやイラクも同様です)は、なぜ自分たちが攻撃されているのか理解できぬまま、アメリカをうらみ、怒り、いずれは再報復を試みることでしょう。(知ったからといってアメリカの「正義」が正当化される訳ではありませんが。)正しい知識と理解によって、無益な争いや貧困、病気のいくつかが解決できるのではないでしょうか。私たちも新聞やテレビというフィルターを通していますが、最近はそんな思いで報道を見るようになりました。
ぞうがめ 横浜 2002年9月9日(月) 12時 47分 10秒 日本と世界の平和
日本では戦争をしないことが平和への道だと教えられてきたので、アメリカの態度、中東情勢の悪化を見て、世界ではそれが常識でないことを知り、大きなショックでした。1年前までは、世界で起きている紛争はよそ事で、内容を深く知ろうとすることもなく、争うなんて馬鹿だなあと思っていました。日本は第二次世界大戦でひどい思いをしたから戦争反対だと訴えるだけでは、戦争を止めることは出来ません。戦争をせずに、世界を平和にできるかという具体的な道を考えて、世界に示して行くのがこれからの日本の役割なのではないかと思います。といっても自分では何も思いつきませんが。