大野晋著『日本語の教室」』を読む(2003年2月20日)
出張勝也(でばり・かつや)
株式会社オデッセイ コミュニケーションズ代表取締役社長
英語の話を期待してこのコーナーにクリックしてきた人たちには、たいへん申し訳ないのですが、English for a change!というタイトルに反して、これまで頻繁に日本語のことを書いています。Japanese for a change!になってしまっていますので、約束違反だと編集部の方たちからクレームが来るかもしれません。言い訳になりますが、僕らの母国語である日本語のことが気になって仕方がないのです。英語との関係で言えば、母国語である日本語の勉強が不十分であるということが、日本人の英語を使ったコミュニケーションの力(検定試験の点数などを指すのではなく、実践の場での力のことです)が伸びない原因なのではないかとさえこの頃は考えています。
大野晋先生の『日本語の教室』(岩波新書)を読みました。共感するところ、納得するところがたくさんありました。第2部の「日本語と日本の文明、その過去と将来」を読むだけでも価値があります。半世紀以上にわたって日本語研究を続けてきた大家の、日本語の現状に対する切実な叫びを聞いたようにさえ思いました。この第2部の内容は、次のように要約することができます。
人間は母語によって思考する。よって、母語の習得の精密化、深化をはかることがなによりも重要である。母語である日本語によって、客観的世界(事実)をできる限り精しく理解し、日本語によって的確明晰に表現できる力を養わないといけない。それが、文明(「世界に共通するもの、技術と論理」)を把握する力、文明を作り出す力に対応する。日本語能力の低下と、日本の文明力の崩壊が平行して起こっていることは、決して偶然ではない。母語ができなくては、「上皮」(夏目漱石)だけしか見ない、「上皮」のことしか言えない日本人に成り果てるほかない。
バブル経済の崩壊後、政治だけでなく、「経済も二流、三流だったのか」というような自虐的な声がしばしば聞かれます。小なりとは言え、僕も会社の経営者として、自分の会社を強くしていかなければなりません。それはつまるところ、社員一人ひとりの力をつけなければいけないということです。日本という国と、僕の会社のような中小企業の話は、まったくレベルの違う話だと思われるかもしれませんが、国であれ企業であれ、ものを作り出していく力は、ものを考える力であり、それは教育の力、つまり言葉の力にたどり着くと思うのです。
日本が再び力(経済力に限っても結構です)をつけ、世界において尊敬されるような地位を得るためには、非常に遠回りのように見えるかもしれませんが、国語力を強化していくことがその方法のひとつなのではないかとさえ思いはじめています。ゆとり教育だとか、教育の国際化などと言って、国語や算数の時間を減らして、英語の早期教育をすすめようとしている人たちもいます。しかし、からっぽの頭で中途半端な英語しか話せない日本人をつくって、どうしてビジネスにおいても競争できると思っているのでしょうか?
『日本語の教室』
著者:大野晋 出版:岩波書店(岩波新書) ISBN:4004308003 発行年月:2002.9 本体価格:\800