翻訳はコピーブランド?(2003年1月23日)
出張勝也(でばり・かつや)
株式会社オデッセイ コミュニケーションズ代表取締役社長
昨年12月に急に打ち切りになってしまいましたが、テレビ朝日系列でDark Angelというアメリカのテレビ番組がありました。(この番組、結構、気に入っていたので残念!)吹き替えのままで見ていたのですが、年末に、スカパーで、字幕版のDark Angelをまとめて放送していました。これをちょっと見たのですが、吹き替え版とはまったく違う印象を受けました。異なるテレビ番組と言ってもいいくらいです。正直に言うと、吹き替え版の番組の方が圧倒的に好きです。
理由はふたつあります。一つは、吹き替えそのもの。もう一つは、日本独自に付け加えられた番組のテーマソング。
吹き替え版の主人公の女の子は、声優が甘く、切ない雰囲気をかもし出していて、ちょっと大袈裟に言うと、テレビを見ていて、しばしば胸を締め付けられるような気持ちになってしまいました。ところが、オリジナルの女優の声は、ハードでタフな感じ。まさに強いアメリカの女の子そのもの。そして、加えて、吹き替え版では、番組の始めと終わりに、Globeや倉木麻衣によるテーマソングがロマンチックに盛り上げてくれるわけです。
英語を一生懸命に勉強している方は、できるだけオリジナルの声を聞いて、ヒアリングの勉強をしようということになるのでしょうが、勉強の話をちょっと横において考えてみると、結構おもしろいことが見えてきます。
テレビ番組だけでなく、日本に「輸入」されてくる海外のアイディアや情報、もっと高級になると思想や宗教などは、すべて翻訳されます。「輸入」=「翻訳」とも言えます。一部の語学エリートを除けば、わたしたちのほとんどは、日本語に翻訳されたものを読んだり聞いたりして、なんとなく分かった気持ちになっています。翻訳されていないものの場合には、ひとつ、ふたつ分かる言葉から、なんとなくこんなものかなと勝手に想像したりしています。(学生の頃、洋楽を一生懸命に聴いていた僕がこれでした。)
ところが、Dark Angelの例からも分かるように、日本語に翻訳されたものは、オリジナルとはかなり違ってしまっています。イメージや外観だけでなく、実は内容も結構変わっていたりします。それは、翻訳を行った人の語学力や海外文化理解力に左右されますし、またこういうふうにしたほうが日本では流行るだろうという確信犯的な変更もあるでしょう。
お正月に読んだ本の中で、語学の天才であった空海も、中国滞在中、サンスクリット語は十分に習得することができず、真言宗の教えの一部は、空海の誤解に基づいている部分があるのではないかという指摘を読みました。古くは大和朝廷の時代からはじまって、明治維新、あるいは戦後社会においても、日本では輸入された海外の学問や情報が、文化のみならず、ビジネスや政治においても大変大きな力を持っています。江戸時代の隠れキリシタンが信じていたものは、実はキリスト教とは全く異なるものでした。今でも、「権利」や「神」というような言葉さえ、我々の理解は、西洋のそれとはかなり異なっているのではないでしょうか?
Dark Angelから話がかなり発展しましたが、我々がありがたく受け入れてきた、翻訳されたことがらの多くが、実は、オリジナルなものとは、かなり異なっているとすると、あなたはどう思いますか?せっかく買ったブランド商品が、コピーものだったように!