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第13回(2) 2006/02/07
中東問題―過激派ハマス躍進の理由は?
【 happykingさん(東京都/会社員/34歳/女性)からのギモン】
パレスチナ問題は、何が原因で、どういう経緯をたどってきたのですか? また、この問題が世界や日本に与える影響も教えてください
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<1ページ目からの続き>
このPLOの中には7つの派閥があって、アラファト議長は、最大派閥の「ファタハ」という組織を率いていました。小泉さんが自民党の総裁であると共に森派に所属しているようなもの、というのも、たとえとしては適切ではありませんが。
ファタハとは、「パレスチナ解放運動」というアラビア語の頭文字を逆に並べた読み方です。「パレスチナ解放運動」の頭文字をそのまま並べると、「ハタフ」となり、これはアラビア語で「死」を意味することになるので、あえて逆に並べたのです。ファタハなら、「(鍵で)開く」という意味になり、パレスチナ人の未来を開くことに通じるので、この名前にしたのです。というのは、ちょっとトリビアでしたかね。
1996年に行われた自治評議会選挙では、「オスロ合意」を認めない過激派のハマスが選挙をボイコットしたこともあって、ファタハ所属の議員が圧倒的多数を占め、アラファト議長を支える与党となっていました。
自治政府は腐敗した
パレスチナ自治政府が発足すると、自治政府の運営を支援するため、アメリカ、EU、そして日本が多額の援助を始めました。自治政府の職員の給料などの大半は、この援助によってまかなわれたのです。
ところが、この援助資金のかなりの部分が、自治政府の幹部(つまりファタハ幹部)に懐に入ってしまうなど、汚職が目立つようになりました。ガザ地区の地中海沿岸の一等地には、自治政府幹部の白亜の御殿が立ち並ぶようになりました。幹部の家族は、外国からの援助で購入された業務用の高級車を乗り回し始めました。
ファタハの腐敗を追及するジャーナリストは、ファタハの武装勢力に呼び出されて消息を絶つ、ということも起きていました。
パレスチナ住民のファタハに対する不満は高まっていたのです。
にもかかわらず、いや、だからこそアラファト議長は、「イスラエルが攻撃するので選挙が実施できない」と言って、議長選挙も評議会議員選挙も、延期に延期を繰り返していました。任期は4年なので、2000年には任期が切れてしまったのですが、そのまま居座っていたのです。
しかし……
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