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……1952(昭和27)年には、児童ひとりあたりの教育費が、東京都を100とすると、茨城県は53にしかならないという事態に陥りました。
このため、1953(昭和28)年、再び「義務教育費国庫負担法」が制定され、いまに至っているのです。
「地方に全部財源を任せると、地方の教育レベルが落ちる」という文部科学省の主張には、歴史的な裏づけがあるということです。
「中央集権からの脱却を」と都道府県
これに対して都道府県側は、「税源を地方に移せば、地方が教育費を自由に使えるようになり、弾力的な学級編成や教職員配置が可能になる。外部の人材を活用することもできるようになる」と主張しました。
中央集権的な日本の教育制度を批判したのです。「金をよこせ。こちらで自由な教育をするから」というわけです(ちょっと乱暴な表現かな)。
都道府県に任せてくれれば、「40人学級制度」(1クラスの生徒の定数を最大40人までとする制度)にとらわれず、30人学級だって実現できるし、英語教育にもっと力を入れたりできる。教職員の定数にもこだらわらずに自由に学校運営ができる、という主張です。
一方、この主張に対しては、文部科学省とは別の立場から、「自由な教育は、いまの教育制度を変えれば実現できることであり、人件費を地方に移したからといって、地方分権が進むわけではない」という批判もありました。
本来、教職員の人件費はそうそう変えるわけにもいきません。ですから、国が負担していた8500億円分のお金が都道府県の財源に移されたからといって、都道府県にそんなにメリットがあるようには見えません。実は、都道府県側の主張には、隠されたねらいがありました。
それは、「少子化」です。今後、子どもの数はますます減っていきます。それに伴って、必要な教職員の数も減っていきますね。教職員給与の総額も減っていくのです。そこで、……
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