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……都道府県は、そのお金の一部をほかに回してしまい、中学校の教育水準が低下してしまうのではないかと反対する人たちがいて大論争になったのです。
文部科学省は税源移譲に反対した
文部科学省は、自分の管轄のお金が8500億円も減ってしまうのですから、もちろん大反対。
おっと、文部科学省は、そんな言い方はしませんでした。「義務教育の水準は国が責任を持つべきものであり、国庫負担は当然である」という論理を押し出しました。
かくして、子どもの教育は、国が責任を持つのか、子どもたちが住む都道府県が責任を持つのか、という論争に発展したのです。
文部科学省は、こう主張しました。
「義務教育は国民として必要な基礎的資質を培うものであり、全国どこでも一定の内容・水準の教育を無償で受けられるように保障することが必要だ。そのためには、どの地域でも優れた教職員が確実に配置されることが必要であり、地域間の財政格差に左右されることなく、教職員の給与費が安定して確保されることが必要だ」
これが文部科学省の言い分です。だから、都道府県が負担する小中学校の教職員計70万人の給料や手当退職金などの半額を国が負担する制度を続けるべきだというのです。
文部科学省の言い分には、それなりの根拠があります。地方の負担に任せてしまったら、地方の教育支出が減ってしまったという過去があったからです。
いまの義務教育費国庫負担制度は、1940(昭和15)年に始まりました。この1940年は、日本が戦争の準備のために、さまざまな制度を中央集権的に作り替え、「戦争ができる体制」を作り上げた年です。
サラリーマンの税金を給料から天引きする(所得税や住民税の源泉徴収)など、いまも続く数多くの制度がこの年に始まりました。これを経済学者(現在は早稲田大学大学院教授)の野口悠紀雄氏は、「1940年体制」と名づけました。義務教育費国庫負担も、この「1940年体制」の一環なのです。「国のために戦う国民の養成には国が資金を出して責任を持たなければならない」という発想でした。
途端に、都道府県によって、教育費の格差が出るようになったのです。たとえば、……
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