ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第89回 財津 和夫さん

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財津 和夫さん
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生まれ育った所は自然がいっぱいあって
- 佐々木
すごく分かります。財津さんの詩の根本にフェアリーテール、というのは、よく分かります。ただその、小説なのか物語なのか映画なのか、財津さんがいつ頃にどんな風に触れたんでしょう。
- 財津
もちろん家には、そんなものはなかったし。とにかく、生まれ育った所は、すごく自然が一杯あって、植物もあったし、動物も一杯いたんですよ。うちの親父がね、ニワトリ飼っていたし、ブタも飼っていたし、あと何がいたかな? 結構いろいろな……もちろんイヌもいたしウサギもいたし。
- 佐々木
福岡市内じゃなかったですか?
- 財津
市内でしたけれど、そのときのうちの親父は、近くに進駐軍のキャンプがあって、そこに出入りして、米軍が食べ残したものを引き取って、いろいろな家畜業をやっているところのエサに持って行ったりとか、あるいはどこかの食堂に、ちょっと食えるものを持っていったりしてたんです(笑)。
だから動物も一杯いたし、植物も果物も一杯あったんですよね。だから、そういう息吹が、植物の果物の息吹、動物たちの息吹、そういうものを、子どもって敏感だから、人間の息吹よりも感じちゃったのかもね。
- 佐々木
そうか。お母さまはどんなお仕事をされていたんですか?
- 財津
元々、うちは引き揚げ者だから、向こうでは蚕業をして、いい生活をしていたんですね。でも敗戦で無理やり日本に戻ってきて、土地を与えられて、そこでサツマイモを作ってたんです。それが食糧だった。そういう時代ですからね。
で、そこに競輪場ができることになったらしいんです。畑を、土地を買収されたわけね。で、その代わりに、中で食堂をする権利を渡すから、っていうことで、バーターで入っちゃったんですね。
で、それが意外に競輪好きな人一杯いるから、お客さんがいつも来るわけですよ。で、もうその中では、その食堂しか食べるとこないから、結構な利益があったんですね。話せば長くなるんですけれど、いいですか(笑)。その時代になると、親父は、もう、髪結いの亭主じゃないけれど、食堂主人の亭主になっちゃったわけ。女主人の。
- 佐々木
あ、そう。じゃあ、お仕事されないで。
- 財津
もう、車券ばかり買って。
- 佐々木
そうなんですか(笑)。じゃあやっぱり、フェアリーテールに触れたのは、果物の木があったり、動物がいたりという、家の周りの視覚からくるものがすごく大きかったんでね。ご両親が家の中で読んでくれた本とかではなくて……。
- 財津
そういうのは一切ないですね。
- 佐々木
ロマンチストという形容詞がよくつく財津さんなので。
- 財津
そうですか? あんまり嬉しくないですよ。リアリストのつもりなんです。
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