ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第86回 高橋 伸子さん

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高橋 伸子さん
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資産運用は、女性誌が取材していた
- 佐々木
取材の最中で出会った経済界の方で、インパクトがあった方ってご記憶ありますか?
- 高橋
たくさんいらっしゃいます。今、私は東証アカデミーで投資・証券学習のプリンシパルや東証の社外取締役をさせていただいてますけど、そもそも金融革命の取材は、まさに「貯蓄から投資へ」の過程の第一歩。それを手探りで取材していたわけですが、"欲と二人連れ"だったからできたのだと思うのですよ。その意味では、「"欲と二人連れ"が大切」と教えてくださった邱永漢さんからは強烈なインパクトを受けました。
以前佐々木さんに東証アカデミーのイベントにいらしていただいたとき、パネルデイスカッションでお話しましたけれども、私は10年、フリーランスとかで働いて1,000万円を貯めるのが目標でした。当時の金利は年利8パーセント。子どもが小学校から帰ってきたら「お帰りなさい」って迎えられる年収80万円の不労所得、金利生活が、私にもできるはずだったんですよね。
ところが1,000万円貯まったら、1980年をピークに日本の金利が下がり始めて、投資の時代になった。自分がどこの企業を応援するのか、何を応援するのかを決めて、じっくり投資をしていくほうがいい時代になったわけ。自分自身の問題でもあったので、真剣になれましたね。
主婦の友社に入社すぐに業務命令で、住宅ローン、中期国債ファンドとか、金融の動きを取材しているうちに、本格的な金融自由化の時代になって、仕事が山のように押し寄せてくるようになったのです。ラッキー、という感じでしょうか。
- 佐々木
記者なら異動がありますが、フリーだったから、経済に特化した取材が続けられたというのも、良かったですね。
- 高橋
そう。つまり、自分達で資産を運用しなきゃいけないなんていう常識は、「日経マネー」や「MONEY JAPAN(マネージャパン)」が創刊されるまではなかったわけ。主婦の友みたいな女性誌が、家計簿をつけながら、運用も主婦の仕事としてやっていた時代っていうのが1980年の半ばまでです。
だからマネー誌の創刊期に、男性記者はマクロは分かるけど、ミクロ経済や運用の世界は苦手、ということで、私の経験が買ってもらえた。「日経マネー」で50ページの特集の特別取材班のチーフをやらせてもらったのはとてもいい経験でした。
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