ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第82回 丹下 一さん

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丹下 一さん
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訓練してつくった声です
- 佐々木
今の、深いいい声は、高校生、大学生ぐらいからですか?
- 丹下
いや、やっぱりこれは、訓練して作った声です。
- 佐々木
そうですか。じゃあ、丹下さんのなにが見込まれたのでしょう。
- 丹下
いや、ただ人が足りないからだったんじゃないですかね(笑)。男は珍重がられて。とりあえず徹夜で大工仕事をやれとか。もう、こき使われましたからね、本当に。
- 佐々木
力はありそうだし。体育会系だったんですか? 高校のとき。
- 丹下
いや、全然。好きで山登りはやってたんですけど、体は本当に弱かったんです、僕。部活に入ったんですが、ついていけなくて、やめて1人で歩いていました。
- 佐々木
でも、そんな子なら、劇団員として、あんまりスカウトしないですよね(笑)。
- 丹下
でしょうね、本当にすごく暗い子だったし、体もひ弱で、立っているとすぐしゃがんじゃったりね。何ででしょうね。まあ、真面目だったんで「学校のあれがあるから休みます」なんていう仲間もいたんですけど、絶対休まなかったですね。だから、1年間本当に休みなしで、熱があっても行ってましたもん。そんなもんだと思ってたんです。
- 佐々木
でも、そこは、なにかのしつけからくるものなのか、その続けること……。
- 丹下
やっぱり、うちの母親や父親が厳しかったからかな。吹雪になっても「学校に行け」。「今日、休みたい」なんて思っても無理。大体「休む」なんて言葉が、あの2人にはなかったんじゃないかなあ。あと、本当に体が弱かったんで、それもあって「そんなときでもちゃんと行って、鍛えなきゃいけない」と親は思ったんでしょうね。
- 佐々木
親が行かせたんですね?
- 丹下
はい。小学生のときとか、柔道とか水泳とか、真っ青になって吐いたりしながら、なんかいろいろやらされましたね。夏のキャンプに行ったり、UNESCO(ユネスコ)の学校に行かされたり。僕、本当にやりかったのはピアノだったんです。なのに、やらせてくれないんですよ。
弟3人はヤマハの音楽教室に行って、僕だけ行かせてもらえなかった。今でも恨みに思ってます(笑)。それで、どうしてもピアノをやりたくて騒いだら、親がついに買ってくれたんですよ、一番安いアップライトを。それで夏休みに1日8時間ぐらい弾いて、バイエル1カ月で上がったんです。
9/25
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