ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第8回 杉田敏さん

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株式会社プラップジャパン 取締役副社長 普楽普公共関係顧問有限公司 CEO
杉田敏さん
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「地獄から来た生徒」
- 佐々木
表現することにすごく興味を持っておられたから、「モノを書くこと」を仕事になさったということですが、『朝日イブニングニュース』をおやめになって、そのあと渡米されたんですよね。それも、大学院に行くという目的で。
- 杉田
そう、大学院に行ってもっと勉強しようと思いました。英字新聞にいて英語で記事を書いたんですが、まだ納得できなかった。周りにいる人たちは、留学経験者、日系二世とか英米人とか、みんなネイティブな人たちで、彼らの書く英語と自分の書く英語との間にはどうもまだギャップがあると感じたんです。そこで、卒業してから6年目に、大学院に行って、ジャーナリズムのマスターを取りました。
- 佐々木
留学前は、まだ一歩も日本を出られたことがなかったんですか?
- 杉田
いいえ、留学前に取材で2回、ミクロネシアとスリランカに、業務出張でアメリカに1回行かせてもらいました。大学を出てから最初の職場で、上司にも恵まれ、非常にいい経験をさせてもらったと感謝しています。初めてパスポートを取得したのは69年です。
そのころのパスポートには、渡航が禁止されている国・地域として中国本土、北ベトナム、東ドイツ、北朝鮮とありました。今年になってからもベトナムとドイツに行きましたし、中国には年10回前後行っているので、時代は本当に変わったなと思います。
- 佐々木
生まれも育ちも日本で、英字新聞の記者を第一線でされていた、と伺うと、どうやって英語を学ばれたのか。あまりにもわたしとは違うから……。
- 杉田
そうですか。中学校2年生ぐらいの時にはもう、「学校の英語の先生から学ぶものはもう何もない。自分のほうが絶対的に実力がある」と信じ込んでいたんですよ。「自分で勉強しなければ英語はモノにならない」って。そのころの先生たちとは、いまだにお付き合いさせていただいてますが、勉強をする切っかけを作ってくれたことを感謝しています(笑)。
- 佐々木
中学2年の時にですか?(笑) でも中学2年生というと、まだ英語を勉強し始めて学校では2年目ということですよね。それで、すでにそう思っていらっしゃったんですか? 先生にとっては脅威じゃなかったんですか?(笑)。
- 杉田
そうですよ。まさに「地獄から来た生徒」(笑)。こちらは未熟な中学生だから、分別なんて全然ないので、先生をいじめるのがおもしろくて仕方がない。先生よりわたしのほうが知っている、先生は力がないというのをみんなの前で暴き立てるのが、すごく楽しかった(笑)。
- 佐々木
それはやりにくいですね(笑)。
- 杉田
そんな生意気盛りの未熟な少年に、中学の英語の先生はとても温かく接してくれました。今考えると、家庭以外で会った最初の大人だと思います。生意気だったんで他の科目の先生には殴られたり、通信簿の点数で復讐をされたりといったことがありましたけれど。一人の先生は、その後一生懸命勉強なさって(笑)、ある進学校に移られてそこから大学教授になられたんです。この先生に何年か前にお会いして、わたしが「先生!」と声を掛けると、いじめっ子に出会ったようにギクッとして、「ああ杉田さんですね。何でございましょうか」と、直立不動でわたしと話すんです。相当いじめていたようです(笑)。
- 佐々木
それにしても、中学校1年生で初めて英語を学ばれたんですよね。何か特別な勉強をしていらっしゃったわけではないんですか?
- 杉田
(笑)それはないんですけれど、あのころって、何でもすぐに頭に入っていくじゃないですか。
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