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山川 隆さん
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外国に行きたくて商社に入社
- 佐々木
ちょっと、ご自身のことを。横浜生まれで、大学を出てすぐに日商岩井に入社されているのですよね? 商社に入っての夢はなんだったんですか?
- 山川
あの、外国に行けるな、っていうことです。でも、なぜ外国かというと、こういうところに行きたいというはっきりした希望があったわけではなく、かっちりとした日本の企業組織の外側にいたいというような気持ちでした。
- 佐々木
日商岩井では海外に行かれていたんですか?
- 山川
いや、行ってないんです。最初はずっと国内です。私は企画部というところに。ですから、ビジネスとはほとんど関係なくて、経営計画ですとか予算管理だとか。
- 佐々木
そこで経営の基礎をしっかり学ばれたんですね。
- 山川
学ぶことは沢山ありました。そこで6年。ちょっと組織を嫌っていたところがあったのですが、やってみるとまじめでした。企業カルチャーが合ったのと、人に恵まれたのと。
その後ですね、日本経済研究センターへ企業派遣で。ここで、最初の半年間は基礎的な勉強をやって、残りの1年半は、研究プロジェクトに配属されました。当時理事長だった金森久雄さんが直々に主査を勤めた日本経済の長期予測。エネルギーと輸入を担当しました。
そこで2年後、日商岩井に戻りまして、調査室というところに。そこに2年いて、コロンビア大学の東アジア研究所へ行きました。
日経センターにいたときに、長期予測のほかに一橋大学の池間先生を主査にしたサブプロジェクトで、太平洋経済圏の研究をやっていたんです。
それで、ちょうど、コロンビア大学で、ベトナム戦争後のアメリカの対アジア政策を立案するという研究プロジェクトがあって、日商岩井がたまたまそれにお金を出すことになり、誰かが、一緒に研究する人がいたら派遣してもいいよ、っていう話になって。それで私に行けと。
13/24
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