ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第53回 細川佳代子さん

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特定非営利活動法人スペシャルオリンピックス日本 理事長
細川佳代子さん
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一番必要なのは、君の明るさと元気だ
- 佐々木
それは、その…、偶然再会してから、「一番必要なのは、君の明るさと元気だ」って言われるまでにはどのくらいの期間があったのですか?
- 細川
それは、再会したときにすぐ。
- 佐々木
え? その日にいきなり? だって、偶然、8年ぶりにお会いになったのですよね。それなのに、「今必要なのは君の元気だ」なんて、ずいぶん変な話じゃないですか。
- 細川
そう。だけどね、その間時々彼は、私に手紙を送って来ているんです。私一度も返事したことなかったのに。だけれども、落選したっていうのをたまたまロンドンで同窓の人から聞いたのね。「君、上智の先輩の細川さん知ってるだろう」って言うから、知ってる、って言ったら、衆議院で出て落選してるから、励ましの手紙くらい出してあげたら、って言われたの。
それで、ああそうだったのか、と思って手紙を出したの。そしてその後手紙が来ていて。いろいろな取材で初めて海外に出るので、ロンドンに行ったときには是非会いたいという手紙をもらっていたわけよ。
でも私はそのとき住所不定だったのね。だから、私はどこにいるか分からない。でも一応ロンドンにはいるだろうから、もしいらしたら、ロンドンの日本大使館に行かれれば、私の住所は分かると思います、というふうに手紙を出していたわけ。でも場所はローマでしょう? 私が買い付けの出張でローマにいる頃は、彼はアフリカにいるはずなの。
- 佐々木
え?
- 細川
ロンドンに来るのはそれからひと月くらい後を言ってきていたわけよ、最初。だから私、ローマで彼を見かけたとき、ずいぶん似ている人がいるなあ、と思って。あの人確か細川さんだと思うけれど、だいぶ前と違うし、日焼けしているし。
でもなんで今頃ローマにいるんだろう、なんて考えていたら、タクシーに乗って行っちゃったわけよね。それで、私、大使館に用事があったから行ったら、案の定、彼も大使館に行った後だったの。「さっき出て行った男性の名前は分かりますか」って聞いたら、細川さんっていう人だって聞いて、ああやっぱりそうだ、なんで今頃いるんだろう、って思ったわけ。ずいぶん変わっていたのよね、すごい苦労しているから。朝日新聞で7年鍛えられて、選挙に出て。
だけれども、後から聞いたら、イスラエルと中東戦争の取材して、そしてその記事を出すために、モロッコに行ったけれど、いつ日本に原稿が着くか分からないと思ったので、やっぱりローマから送った方がが安全だと思って、それだけのためにローマに飛んだらしいの。その原稿を送るために。……ということだったの。
- 佐々木
それがもう運命の再会! じゃあタイミングがちょっとずれただけで、お会いにならなかったでしょうね。
- 細川
でしょうね。
- 佐々木
それにしても、ずーっと愛され続けていたということですね。
- 細川
全然そうじゃないのよ。たまたま2人とも、他に一生懸命やることがあって、結婚なんて全然考えてなくて、私は。
- 佐々木
でも、彼との結婚は政治家の妻になるということ。一度でも社会に出たりキャリアを積んだりした、特に日本初かもしれないっていう女性駐在員まで体験された佳代子さんにとってみたら、自分のキャリアをむしろ捨てて、相手に奉公する選択で、大きなシフトだったと思うのですが。
- 細川
そんな大げさなことは全然考えなかった。政治家ってどんな生活かも全然知らないし、選挙もまったく知らないし。私にとって何が魅力だったかというと、まったく未知の世界に飛び込むのが魅力だったっていう、ただそれだけ。
- 佐々木
3メートルの波だったんですね、きっと。
- 細川
熊本どんなところだろう、っていう感じよね。
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