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株式会社アドバンテッジ パートナーズ 共同代表パートナー
リチャード・エル・フォルソムさん
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規制が変わり、MBOが可能になった
- 佐々木
それで、MBO(マネジメントバイアウト)を始めたのは、いつ頃から?
- フォルソム
ファンドは1997年。先ほど規制と申し上げたんですが、1996年の末に一応、肝心なところの規制が撤廃されたんですね。それは何かと言うと、独禁法上、金融目的で日本の特定企業の株式を過半数所有してはならないというもの。ファンドもしくは持株会社的な存在が、投資目的だけで会社の株の過半数を保有してはいけない、という規制があったんですね。それが撤廃されて。
それともうひとつ、通達においては、過半数じゃなくても投資をする場合は、役員の派遣もダメだったんですが、その通達も撤廃された。すなわち1996年末までは、マイノリティで役員を送り込まない形、つまり経営に関与しないマイノリティだけの投資が可能だったんですね。
- 佐々木
それではマネジメントに関与できない。
- フォルソム
そうなんです。そもそも我々が考えていたのは、全部買って、経営権を握って積極的な経営支援をするということだったので、それが1997年のはじめから可能になった。
それを見て動いたわけです。もともと我々はファンドも考えていたし、実は我々がファンドレイズするんであればどういう目論見書にするかっていうのを考えて、その1年前くらいから作っていたのもあった。場合によってはベンチャー、いわゆるマイノリティ経営をしない、ベンチャーキャピタル的なファンドでもしょうがないかなと思っていたこともあるんです。
ところが規制が変わったので、さっそく1997年のあたまに目論見書を仕上げて、機関投資家のところをまわり始めたんです。「今度、こういうのが日本で可能になった」とご紹介にまわりました。我々がそれを実行する上で最も適したメンバーで説得資料を作り、9カ月くらいファンドレイズをやって、1997年の9月、10月に……。
- 佐々木
第1号ファンド。
- フォルソム
第1号ファンドを立ち上げたんですね。
- 佐々木
何億でした?
- フォルソム
30億。
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