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リチャード・エル・フォルソムさん
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子どものときに、海外を見た
- 佐々木
ちょっと、リチャードがどういう子どもだったか聞かせてくれます?
- フォルソム
さあ、どういう子どもだったのかな。まず、国際的だったというのはあると思うんです。日本に来てもすぐ周りに溶け込めたのは、子どものときに2回ほどドイツに住んだ経験があったからでしょうね。
- 佐々木
それはお父様のお仕事で?
- フォルソム
そうです。彼は大学教授で、ドイツ語を教えていますが、もとをたどれば、彼も若いときにモルモンの宣教師をやって、ドイツに派遣されたんです。彼もそれまでドイツにはまったく縁がなくて、宣教師として初めてドイツに行った。そこで、自分のキャリアがすべてドイツとつながったんです。うちの母もドイツ人。ドイツ人なんですけれども、彼女の両親がカナダに移民して、カナダにいたりアメリカにいたりしたんですね。いわゆる二世のドイツ人だったんですね。僕も同じように日本に来て、けっこう父親と同じような道をたどってますね。
- 佐々木
ドイツに住んだのは、何歳くらいの頃?
- フォルソム
7歳の1年間と、14歳の1年間。
- 佐々木
じゃあ、けっこうちゃんと学習する時期に海外生活をした、ということですね。
- フォルソム
そうです。実はそのとき、けっこうドイツ語ができたようなんですね。ドイツのパブリックスクールにも行ったし、まともに1年間卒業、それぞれの年齢で通過したんで(笑)。今は覚えていませんけれども。
- 佐々木
それは素晴らしい。アメリカでの小学校、中学校、高校はユタ州立?
- フォルソム
そうです。アメリカのごく一部の東海岸の人たち以外は、普通はパブリックスクールに行くし、あまり深く考えないで過ごすんで、それがかえってよかったんじゃないかと。5人兄弟の真ん中だし。
- 佐々木
アメリカでの一般的な暮らしというと、海外での生活はとても珍しいだろうから、それが今のリチャードの基盤を作ったのかな。
- フォルソム
そう。珍しかったですよ。
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