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松本 侑子さん
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映像の世界、活字の世界
- 松本
ところがテレビの仕事を続ける中で、かをりちゃんのように話すのがすごく上手な人を見て、本当のプロを見て、わたしは映像の才能がないとよくわかったんです。
- 佐々木
わたしは全然違うし、プロだなんて思っていなかった。
- 松本
(笑)。わたしは毎晩、テレビで話すたびに、ロケの映像を見るたびに、「今日もうまく話せなかった、会社に迷惑をかけたんじゃないか」と暗い気持ちで帰宅してました。
- 佐々木
たしかに異質な人材でしたよね、『ニュースステーション』では。
- 松本
そう(笑)。「絶対向かない」というのと、「わたしはやっぱり出版社か新聞社に行くべきだった」という後悔に苦しんで、ロケの帰りも泣く泣く小説を読んでいるくらいで。(笑)。
朝日新聞の論説委員で、久米さんの隣で解説をなさっていた小林一喜さんも、活字メディアと映像メディアとの違いで悩んでいらしたんですよ。まさに活字世界の方だったから。わたしにとっては、小林一喜さんがいらしたことが救いでした。
小林さんに相談したら、人間には活字向きと映像向きと2種類ある、ぼくは活字向きだとおっしゃって、「わたしもそうだ」とピンと来たんです。それから……。
- 佐々木
立松和平さん(笑)。
- 松本
立松さんは話もお上手だと思います(笑)。というわけで、わたしの転職のきっかけは、自分が活字型だと痛感したことと、もう一つは、午後のワイドショーの司会に抜てきされたことです。
2 年目に、役員の方に呼ばれて、中華料理をごちそうされてね、フカヒレの姿煮とか(笑)。そんなお席で、わたしは抜てきをお断りしたんです。会社側としては、1年たって大学を卒業したわたしが、この先、人気が出て仕事が続くように、わたしのためを思って、よかれと思って抜てきしてくださったんですが、わたしは芸能人の名前も全然知らないし、誰が恋愛したとか離婚したとか、そんなことには興味がありませんと、正直にお話ししたんです(笑)。
でもその後、会社の人はわたしの今後を考えてくださっているのだから、わたしこそ、自分の身の処し方を真剣に考えなければと痛感したんです。23歳の時でした。
そこでよくよく考えると、出版社に入るのもいいけど、本当に自分のやりたいことは何かと考えてみると、やっぱり小説を書くだったと気が付いた。子どものころから小説を書いている時が一番充実した時間だったと。
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