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フリーダイビングトレーナー・アプネアフォトグラファー
菅原真樹さん
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就職はスポーツクラブのトレーナーに
佐々木
じゃあ、大学を出て、就職っていうのが普通はそこで入ってくると思うんですけれど、それはどうされたんですか?
菅原
就職は、学生のときにずっとアルバイトをしていたスポーツクラブでした。最初はトレーナーとして働いていて、いろんなスポーツ医学だとか、生理学だとか、そういった専門書を読みあさって。アルバイトといえども、ちゃんと話せるようにというようなトレーニングを受け、非常に今も役に立っているんです。
で、そのときに、人に接することも学びました。それぞれ違った方がいらっしゃる。時間帯も違うし、対象も違うし、そういう方を見ながらしゃべったり対応したりするっていうことの面白さを学びました。
佐々木
芸大を出てスポーツクラブに就職っていうのも、また面白いですね(笑)。
菅原
そのとき、まだ空手もやってたものですから、ピアノの先生にね、よく突き指をして怒られたり、なんていうことがありました。
佐々木
ピアノが上手で、空手もやってて、芸大出て、スポーツクラブに…(笑)。
菅原
もう、だからそのころって、「君は何になるの?」って。僕も、まだ答えも何も分かってなくて、それがこれからどういうふうに展開していくかも分かっていない状態で。
佐々木
真面目なお父様、お母様は、何かここでコメントを……。
菅原
まあ、「音大出て、なんでそうなるかねえ」と(笑)。まあ、そのとおりですけれど(笑)。
佐々木
ですよねえ。今は振り返れば、「そうかあ」って受け入れられるけれど、そのときはどうも一貫性がないぞ、と(笑)。
菅原
そうですね。自分も、それはすごく感じていたことですね。
佐々木
そこからハワイまでは、どういうふうだったんですか?
菅原
就職をしたスポーツクラブにたまたまダイビングクラスがあって、大きなプールがあったんですね。で、そっちのスタッフにスカウトされて、そこからだんだんのめりこんで、専門になったんですね。就職もそっちへ行くことが決まったんですね。
そこでインストラクターの試験を受けました。本格的なNAUIっていう、National Association of Underwater Instructorsっていう、世界的な大きな、そのころもう一番厳しいって言われているような、インストラクターの試験だったんです。まあ、それにチャレンジしたいということで、いろんなタイプのインストラクターの方にしごかれて。
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