ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第17回 志村季世恵さん

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志村季世恵さん
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哲学的である、ということ
- 志村
そうだと思います。たとえば嫉妬があるとするでしょう。この嫉妬がどうすればプラスになるのかな、マイナスになるのかなと、この比較をすることで、相手をおとしめるかもしれないし、自分も落ちるかもしれないと、哲学的に話されていたような気がするんです。
父は大正4年生まれだったんです。今生きていると88歳ぐらいですかね。遊ぶときもとことん遊んだし、カルピス劇場みたいなテレビ番組なんかも、一緒に見て泣いていたし。夏なら週末は、怪談を話してくれて。
- 佐々木
お父さまは何をされていたんですか?
- 志村
もともと経済学の学者だったんですが、戦後の経済立て直しのために会社のコンサルをしたり、起業家として会社もつくっていました。
- 佐々木
わたしの父も哲学的な人でした。中学生のわたしたちに天皇論や教育論を問い掛けてきた。わたし自身は高校生ぐらいから、いろいろなことを考え始めたんだなと思うんです。
それに、家で勉強もさせてもらえなかったんですよ。学校が勉強するところ、家は家庭のことを学ぶところだと。家で宿題をしたり、試験前の勉強をしたりすること自体、先生が駄目か教育システムが悪いかだと言ってね、「家では勉強するな」と言われていたので、いつも成績が悪かった(笑)。
自分が家族をつくっている今、つくづく思いますが、「ものを考える」というのは家族関係のなかでもとても重要なプロセスなんでしょうね。
- 志村
家で花札とかマージャンもやらされていたんです。今思うと、物事に対して突っ込むとか、引くとかの学習にもなってましたね。「今はついてるから、乗っていいんだ」とか、人間引き際っていうのが大切ですよね。でもああいうことから一番学ぶんですよね。何だかわからないんですけど、勝負の世界って駆け引きのルールがあるんだよね。
家庭では学校の勉強とかはまったくしなくて、花札やトランプばっかりしてました。
- 佐々木
それもまたユニークですよね(笑)。
夫婦間でもそうですが、今お話ししていて思いましたが、最近家族全員で考えたり、ディスカッションをしたり、意見を交換するということはあまりしていませんよね。
- 志村
してませんよね。それがうちでは多かったんです。中学生、高校生ぐらいのときは大人向けのテレビ番組なんかも一緒に見てましたし。隠しごとのなかった家です。
困ったことでも、いいことでも、なんでもテーブルに上がっていたような気がする。
- 佐々木
ところで始めにうかがった、兄妹の話の中で、3人お母さんが違い、いろいろな人がいて、言葉の傷つけ合いもあったかもしれない、ということでしたが、今のお話だと、とてもあっけらかんとした家庭で、まるで違う家庭のようです……。
- 志村
どっちも経験できてよかったな、と思います。
- 佐々木
両方同時期に共存していたのですか? それとも時期を違えて?
- 志村
今話した内容のころは、父も健康を取り戻していて、兄や姉も嫁いだり自立していたころです。でも、兄や姉も、同じように父に育ててもらって、わたしが育ったようにディスカッションして、そんなふうに生活してたんじゃないかなと思う。
ただ、兄や姉にしてみれば、苦しみは当然あったわけですし、思春期の荒れている気持ちを、そのころのわたしにぶつけただけであって……。
本来は情の深い人たちでしたから、わたしが病気の時などは本当に心配してくれて、看病もしてくれました。
そういえばね、もう一つ。うちは四季折々の行事をすごく大事にしてきていたんです。江戸時代から受け継いできた独特の行事もあって。そんなときは、家族も全員がどんなに忙しくても家にそろってみんなでそれを楽しんでいました。
一つ加えさせていただきたいのですが、人ってね、つらいことのほうを記憶に留めるんですね。冷静に冷静に考えると、兄も姉もわたしをかわいがってくれるんです。
でもねいくつかの大きな……と思える事件や出来事があるといい記憶を閉じ込めてマイナス面を残すんです。だからわたしの家庭環境は、すべて悪かったわけではなく、特殊ではあったかもしれないけれどプラスも大きいの。これは大なり小なり、どこのおうちもそうですよね。
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