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志村季世恵さん
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「センスのいいおせっかいおばさん」になりたかった
- 佐々木
先ほどの「センスのいいおせっかいおばさん」、いい表現ですね。学生時代から人の世話を焼くのがうまくって、みんなの相談なんかにも乗ってあげるというタイプだったんですか?
- 志村
小学校のころから先生に指名されて、どういうわけか必ずトラブルを抱えている子の隣りに座らされていました。「学校は行きたくない」という子や乗り物酔いする子の隣りです。小学校、中学校と、いつも。
高校生ぐらいになると、そういう人たちがわたしの周りに自然に集まってくるようになっていて。なんでそうなるのかわからないんですけれど、小学校のころには学校に行かない子のお世話係で、「志村さんがこの書類を持って届けに行ってね」とか。
- 佐々木
先生からは、小学生の志村季世恵という子どもが、ほかの子どもを落ち着かせる素質があるということがわかっていたんでしょうか。
- 志村
そうだったんでしょうね。いつもなぜかそういう子の隣に座って、勉強を教えたり。
- 佐々木
偶然ではなく、先生が意図的に、ですよね。志村さんは、隣で何をしてあげていたのですか?
- 志村
意図的だと思います。バスなんかでもそうだったものね。酔ってしまった子の背中をさするとか、酔わないようにずっと話し続けているとかして。戻しちゃうとみんな蜘蛛の子を散らすようにワーッといなくなっちゃうけど、わたしはそうしなかったし、「だいじょうぶ?」なんて言いながらふいてあげたりしてた。
そういえばわたし、いつも保健委員でしたね。保健の先生からの指名制で(笑)。
- 佐々木
それが、高校まで続いた?
- 志村
そう。学校に行っている時は今言ったような感じで。じゃあ、いつでもそうしてるか、というとそうではなくて、自分自身の体も弱かったので学校を休んで、病院に行っていることもありました。風邪をひいただけで、もう大変という感じでしたから。
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