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アルトマン京子さん
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小学校から香川県の善通寺というところです
- 佐々木
お父さんは、大学教授でいらっしゃったんですよね? お母様も、今はシェルターのサポートとかをされるなど、すごく社会的にも貢献されていらっしゃるのですが、どんなご家庭で育ったんですか?
- アルトマン
アメリカで生まれて、五つのときに、東京で幼稚園を1年間、小学校から香川県の善通寺というところです。まだ外国人もめずらしいころで、よく、「外人」ってからかわれたり、父も背が高かったので、”ゴジラ“だとか、”怪物”だとか呼ばれたりしました。でも、父は、いつも、「外国人って、外の人っていうものはないんだよ。みんな同じ人間なんだよ」っていうことを言っていました。父も母も周りのことを気にせず自分の正しいと思う生き方をする人でした。
たとえば、当時は環境問題とか、あまり人は意識していなくて。でも、父は日本のわりばしが、ものすごくもったいないって、プラスチックのお箸を自分の胸ポケットに入れて、堂々と歩いていたんですよね。
私の友達なんか、「あれって、墓場の線香に見えるし、嫌だよね」とか、いろいろ言う中でも、全然気にしないで堂々とそれをやるような人でした。あと、車の運転に関しても、どこかから捨てられたような、古いのを、「これは、まだ動くから使える」って。小学校のときって、皆、周りは新しい車に乗っているのに、うちだけ、このポンコツに乗ってました。その上、父は物理の先生だったから、赤信号があると、どこでアクセルを離すとよいかなんて考えたり。
- 佐々木
一番効率よく、ガソリンを使わずに停まるか?
- アルトマン
そう。赤信号が見えたら、もうアクセルを踏む必要はないですよね。だから、もう足を離すので、うちの車は、ゆっくり動くんですよ。それで、後ろで、ブーッ! とか、クラクションを鳴らされても、「これが正しいんだ」って。で、だから町中で「また、あの外人の車が通っていく」みたいに。
- 佐々木
名物「外人」だったんですね。
- アルトマン
そう。もう、聞こえるんですよ。私なんか、後ろの席で隠れながら、「嫌だなあ」とか思っていたんだけれども、父は、「正しければ、そのまま、それでいいんだ。恥ずかしがらなくてもいいんだ」っていうのを、すごく強く教えてくれたんです。言葉では絶対に言わなかったんですけれども、行動で。
10/22
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