怒られてしまうかもしれないんですが、どちらかというと、子どもの教育に関しては「go with the flow」というようなところがあって。その環境で、きっと大きな壁もあるし、困難もあるだろうし、こんなはずじゃなかったっていうこともあると思うんですけど、そこで軌道修正していきたい、その時々でしっかり見ていきたい、と思うんです。 でも今、例えばお受験をするということが一つの選択肢になかったのは、6歳という保育園の環境で、今与えられている状況の中で最大限を生きて、人らしく育っている現状があればいいかな、というぐらいだったんですよね。これからきっと小学校の教育や文科省の方法に疑問を抱き、奮起して、その時点で動くと思うんですけど、動いたら早いので。
私の前では、しゃべらないんですけど、どうやら、しゃべっているようなんですよね。昨日も耳をそばだてて聞いていたら、クイズみたいなものをやっていて、”I can fly.”とか言ったりしていたので、もしかしたら、こちらが思っている以上に、英語の面白さには気づいているのかも。今のところ、嫌だとも言わないので。 一番私が恐れていることは、言葉の『勉強』になってしまうこと。しゃべることが嫌になってしまったら元も子もないので、コミュニケーションの楽しさという部分を、今持てていたらいいな、と思うんですけど。