ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第114回 浜田宏さん

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浜田宏さん
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デルの幹部がテキサスから飛んできて
- 浜田
そう偶然。全然重なっていない。僕は自費で行ったんですよ。その船会社の中の留学制度に乗りたかったんだけど、どうやらなくなりそうだっていうのがあって。外資系のアリコ・ジャパンに行って、そこで仕事しながら勉強をしてお金をためて、それで自費で行った。
これだけは自慢っぽく言うと、10円すら借りてないんですよ、人に。親にも1円も出してもらってない。完璧に自分で出していたので、ここまで気合を入れて来たのだから、せっかくだから、そのまま日本に帰るより、アメリカでちょっと修行をしろと、さらに修行だって思って。
サンフランシスコにあるコンサルティング会社に潜り込んだみたいな感じですね。給料は半分ぐらいになりました。留学した後に給料が半分になるバカはいないじゃないかって。
- 佐々木
MBAを取った後なのにね。
- 浜田
半分は大げさだけど、6割ぐらい。最初はお前、ここからスタートだって、一番下からスタートして。
- 佐々木
一番下って、その当時どれぐらいでしょうね? 3万ドルとか、4万ドルとか。
- 浜田
もう少し上ですよ。5万ドル弱でしたけど。日本に帰ったら、外資でそれこそ1千万円級のオファーとかはあったんで、それと比べたら、本当に半分ですよ。
でもそこで、全米を回って、コンサルティングで、アメリカのでかい企業が日本に進出するときに、組織とか、カルチャーとか、人事制度とか、どうやって作っていったらいいとか、そんなことをやっているうちに、デルの幹部がテキサスから飛んできて、日本に数カ月前に進出したんだけど、しっちゃかめっちゃかです、と。
言葉は通じないし意思疎通ができない、カルチャーさえない、ビジネスモデルさえない。社内のマネジメント体制はメチャクチャ、採用もきちっとできていないし。とにかく、もうもう、ギブアップ、助けてみたいな感じで。
それで僕はサンフランシスコから五反田に飛んで、2週間いて、60人ぐらいの人と話して、またテキサスに飛んで、「こんなことになってます、こんなことしてます」って報告して、またサンフランシスコに帰ってって、三角飛びを2、3カ月続けていくうちに、気に入っていただいてね。
「頼むから、お前、五反田の社内に常駐して、参謀のように、何でもいいから手伝ってくれ」と。そういうミッションを受けて、サンフランシスコから五反田に帰ってきました。93年の夏ぐらいかな。
- 佐々木
マイケル・デルが来日したときに、そういえば、勉強会で浜田さんにも一緒にお会いしましたよね。
18/24
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