情報の時代に求められるスキル
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年6月28日
アメリカのブッシュ政権の外交政策をリードしてきたネオコン(新保守派)や、イギリスのブレア首相がイラク攻撃の正当性をめぐって窮地に立っています。イラクが大量破壊兵器を保有している「証拠」がいまだに見つからないからです。イラクの大量破壊兵器について、両国の政府ともさまざまな「証拠」を提出してきましたが、それが「情報操作」ではなかったかとも言われています。イギリス政府は、提出した証拠がアメリカの大学院生が書いた論文であることを、ついに認めざるを得ませんでした。
エディターの役割
アメリカの学者であるジョセフ・ナイは、著書の中で「情報革命」についてこう書いています。「情報が大量に流れる時代には、『大量の逆説』が生じる。つまり大量であることによってより注目度が下がる」というのです。こうなると、情報の「信頼度」が重要になります。問題は、その信頼度を「誰が保証してくれるのか」ということになります。その情報が正しいかどうか、いちいち検証するわけにはいきません。
そこでジョセフ・ナイは、この情報化時代に最も必要とされるのは「エディター(編集者)」であると主張しています。編集者とは、世の中で何が起きていて、そのうち何が重要なのかを見極めることを職業にしている人間、と言えます。もちろん政治・経済だけでなく、社会、科学、エンターテインメントなどでも同じことが言えます。社会の表層の流れと深層の流れを見極めて、それをわかりやすい形で提示するわけです。
情報「か」、4つの段階
僕の若き友人で編集者のSさんは、情報という観点から社会の発展段階を「情報寡」「情報化」「情報過」「情報禍」という4つのキーワードで表現しました。情報がコントロールされて少ない時代、情報インフラが整備される時代、情報が大量に流れる時代、そして大量に情報が流れた結果問題が起きる時代、というわけです。このキーワードでいくと、今は「情報過」時代でしょうか。そしてイラク戦争は、その「情報過」が禍(災い)を引き起こした「情報禍」の一例ということになるのかもしれません。
インターネットの時代になって、さまざまなジャンルのテーマを扱う、ある巨大掲示板がとかく話題になっています。あそこに書かれている情報をまともに信じる人は少ないとは思いますが、でも逆に信じない理由もないのです。つまり「大新聞に書かれているから」とか「テレビで報道したから」ということが、情報の正しさを保証しないのと同様に、ネットの掲示板にある情報だからといってそれが誤った情報であるとは言い切れないということです。
論理ある視点を
僕自身、ジャーナリストとして仕事をしてきました。そのときに、自分の物の見方が「正しい」と考えてきたわけではありません。「正しい」見方を提示するのではなく、「違った」見方を提示したい、といつも思ってきましたし、これからもそうありたいと思います。もちろん人と違う見方をするといっても、その見方が「論理的」でなければならないと思っています。でもその論理が常に整合しているかどうかは、また別の問題です。自分の書いてきたことを振り返ってみたときにも、とてもそんな自信はありません。
それでも、論理が成り立つと思ったら、これからもできるだけ「違う視点」を提示していきたいと思います。ジャーナリストとして、どんな場合でも「大政翼賛会」になってはいけないと思うからです。ですから、あえて「反戦」というテーマでも、「戦争が必要な場合もある」と主張してきたのです。
情報が大量に流れる時代には、情報を選別してくれる人が必要になります。その選別の仕方は、多様であるべきだと思います。多様な情報から、自分なりの物の見方を構築していくこと、それこそが「情報過」時代に「情報禍」を引き起こさないために必要なことだと考えています。個人、個人がそれぞれ違った物の見方をしながらも、社会的に適合していくための最低限の共通認識を持てるような社会。そんな社会が実際に実現できるものかどうかはわかりませんが、目標をそこに置くことは必要なのではないでしょうか。すべての人が同じ価値観を持つような社会は、やはり気持ちが悪いのです。