アジアの中の日本、その歴史観
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年6月7日
自民党の麻生政調会長が、いわゆる「創氏改名」に、「朝鮮の人たちが望んだから始まったのだ」と発言して批判を浴びました。麻生さんは、自分の発言が日韓関係に影響してはいけないので「舌足らず」と釈明しましたが、発言を撤回するとは言いませんでした。
21世紀、都合のいい歴史は通用しない
歴史に関する発言は、これまでもたびたび問題になっています。「歴史見直し論」が盛んになったのは、ここ10年ほどでしょうか。「自虐史観」からもういい加減に脱却しようという主張が声高になされたものです。「歴史観」というのは、非常に重要だとわたしも思います。ただいつも問題になる「南京虐殺事件」「従軍慰安婦問題」といった事件が、本当に歴史観に関わるような話なのかどうか、疑問にも思います。
つまり、南京事件で殺された人が30万人なのか2万人なのかによって、当時の日本の行動が正当化されるかどうかが決まるのではないと思うのです。日本による中国への軍事行動が、「進出」であるのか「侵略」であるのか、という表現の問題は、もちろん歴史観に左右されるのですが、その当時の国際情勢を考えれば、日本が「遅れてきた帝国主義国」であるのは明らかだと思います。先行していた欧米の帝国主義国に追いつき追い越せとやったら、利害が衝突して戦いになったということでしょう。
問題は、だからといってそういった歴史を「正しかった」ということができるのか、ということです。自国の歴史を都合のいいように子どもたちに教えるということは、どこの国でもやっていることです。ただ21世紀になって必要なことは、歴史を都合のいいように解釈し、教えることではなく、できるだけ客観的にとらえるという努力をしていくことだと思うのです。
過去の否定から始まった「戦後」
第2次世界大戦に敗北して以来、わたしたち日本人は「過去を否定する」ことに寄りかかってきたのかもしれません。つまり諸悪の根源は、軍部であり、それを反戦という言葉で否定してかかることが、戦後の日本を肯定することにつながっていたのではないでしょうか。今回のイラク戦争でドイツが戦争反対を強く主張したのにも、こういった日本人の心情と似通ったところがあったと思います。ドイツの場合も、ナチスを完全に否定することから「戦後」が始まっているからです。
それにしても麻生会長の発言はいただけません。「創氏改名は朝鮮の人が要求したから始まった」と言うことで、いったい彼は何を正当化したかったのでしょうか。日本の姓名に変えたいと言った人もいただろうと思いますが、結果的に見ればあの政策が朝鮮民族の誇りに火を付けたとも言えるのです。それにもともと、日本の朝鮮併合が正しかったのかどうかという問題に、彼は何も触れていません。
自虐史観だの反自虐史観だのという不毛の論争を終わりにして、世界の中(少なくともアジアの中)の日本をもう一度とらえ返すことが重要なのではないでしょうか。それをしなければ、中国や韓国から、何かというと「歴史カード」を切られる現状も変わらないと思います。そして、歴史カードを切られるうちは、日本が外交でアジアをリードすることなど、とても望めないと思います。