ちょっと嫌な雰囲気
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年11月23日
先日友人から聞いた話。ある銀行でおじさんが銀行員に向かって大声で文句を言っていたそうです。その中で「お前らは税金を入れてもらって……」という台詞があったそうで、銀行に対する「庶民感情」がここまできたかと友人は思ったそうです。しかもおじさんの苦情に同調するかのように、ひとりの中年女性が「この銀行って……」と、やはり大声で不満を言ったといいます。先日のコラムについての意見にも「竹中氏の当初の銀行再建案は、庶民感情がたっぷり盛り込まれていて、実現したら痛快だろうな」という一文がありました。銀行に対して「庶民的反感」がいかに強いかを示すエピソードではないでしょうか。高い給料をもらってとか、預金するときはペコペコするのに融資のときは冷たいとか、昔からある反発がいっきょに噴きだしているような感じがします。
その一方、竹中金融担当相の不良債権処理加速策については、いわゆる「竹中売国奴論」が盛んです。日本の銀行をつぶしてアメリカのハゲタカファンドに売り渡そうとしている、というものです。こうした反発は、日本長期信用銀行が破綻して、アメリカのファンドであるリップルウッドに売却したときから強くなりました。だから日本の4大銀行のうちどこかを国有化しても、絶対に外資には売却しないという雰囲気が生まれています。最近でも、ある企業が子会社を外資に売却しようとして、結局は見送ったというケースがあったそうです。その理由は「外資に売るのはどうも……」という雰囲気が強かったためだったといいます。
外資への区別(あるいは差別)
どれが正しいかは別として、このような感情的な雰囲気は、あまり気持ち良くありません。そもそもこのグローバル経済の中で、外資と民族資本というような区別(あるいは差別)をしていいのか、ということがあります。たとえば日産のケースはどうでしょう。フランスのルノーから送りこまれたゴーン社長は、いろいろ反発を受けたけれども、日産自動車を利益がでる会社にしました。従業員を全員を幸せにすることはできなかったかもしれませんが、少なくとも残った従業員は今のところハッピーになったのではないでしょうか。そして日産はフランスの会社になったのかと聞かれれば、多くの人はそうは思っていないでしょう。
かなり以前から、日本の会社とか外国の会社とかいう区別は意味をなさなくなっています。もちろん雇用慣行の違いによる労使紛争はあるでしょうが、それも数が少なくなっています。むしろ日本の企業では能力を十分に評価されないと感じている女性は、外資系を好む傾向が顕著にありますし、一橋大学のあるゼミでは、卒業生の半分が外資系への就職を希望したそうです。これはゴーンさんも言っていたことですが、これからは、国籍や性別は関係ない、やる気と能力さえあれば、どこでも活躍できる時代になります。
ナショナリズム的反発は理解できない
つまり企業にせよ、そして個人にせよ、もはや国籍は何の意味も持たない時代になりつつあるのではないでしょうか。もちろんそこにいろいろな問題はあるにせよ、大きな流れとしてはその方向に向かっていると言えるでしょう。であるとすれば、日本の銀行が外資に売却されたとして、いったいどこに問題があるのでしょうか。銀行に対する庶民的な反発は理解できても、外資に対するこうしたナショナリズム的反発は理解できません。まして金融の世界で言えば、日本の銀行が「あぐらをかいて商売していた」ことは事実です。そしてその上に乗っかっていたのが昔の大蔵省でした。早い話が官民で「モラルハザード」を起こしていたわけで、それを淘汰しようというときに、いたずらに外資に対する反発をあおるのはいかがなものでしょうか。
狭量な民族主義がときに危険なものになることは、歴史的に明らかなことです。日本人としての誇りやアイデンティティは必要でしょうが、それが「排外主義」につながると、外国人排斥とか自国の権益を守れという話になりがちです。銀行問題に関するこうした一種の「ナショナリズム」がそれほど大げさなものでなければいいのですが……。