お役所に自己改革能力はない
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年8月24日
8月21日、外務省を改革するための「行動計画」が発表されました。この改革プランは、外相の私的諮問機関である「外務省を変える会」の答申に基づいてつくられたものです。全体として改革案を読むと、これで「改革なんてできるのか」という疑問がわいてきます。同時に「今までの外務省はこんなこともできていなかったのか」という暗い気持ちにもなります。
たとえば、「職員の意識改革」という項目を見てみると、「使命感の付与」とあって「省員行動規範を定め、徹底する」とあります。そうすると今までの外務省は「使命感が希薄だった」ということなのでしょうか。行動規範は一応あったけど、ないがしろにされていたということなのでしょうか。なにか違和感を覚えます。
それにいちばん腹立たしく思うのは、報償費(機密費)の取り扱いです。報償費とは、外交上欠かせない情報の収集にあたって必要なお金のことです。誤解を恐れずにわかりやすく言ってしまえば、スパイに支払う金です。外務省の一連の不祥事でいえば、情報収集に充てられるべきお金が、実は海外出張の補填に使われたり、高級ワインに化けていたり、あげくの果てに数億円もの金を着服したりしていたことが問題でした。
今回の改革案では、いちおう内部監査や会計検査院の監査というチェックをかませることにしたのですが、領収書などの関係書類を20年後に公表するというのは見送られました。「内部監査」なんていうのがどれほどいい加減なものかは、これまでの例が示しています。どんな組織でも、内部の人間が同僚を監査するのはいやなものだし、そこに「手心」が加えられる可能性はあります。だから外部監査が必要なのです。
会計検査院は、いちおう外務省とは関係のない機関ですが、検査の信憑性に疑問がもたれる例も今までありました。こうした機密費がもともと国民の税金であることを考えると、本来なら国会の中にこれら「機密を要する費用」の審査を行う委員会を設けるべきだと思うのです。もちろん国会議員には厳重な守秘義務が負わされます。その上で、どうしてもできないものを除いて資料として公開すべきだと思います。
要するに、役所のやることは、国の主権者である国民に公開されることが原則なのです。なぜなら役所とは、主権者である国民が国家の運営にかかわる実務を行うために「雇って」いる人たちであるからです。その人たちが行う政策は、国民の代表者たる国会で法律として定められるのです。それが民主主義でしょう。そう考えると、今回の外務省の改革案はまだどこか違うというように感じます。
日本ハムの事件で、大社会長が「名誉会長」に退くのに農水省がケチをつけたということがありました。たしかに「名誉会長」とはおかしいと僕も思いますが、農水省がそういったことに口を出す「権限」はあるのでしょうか。もともとこうした事件を引き起こした遠因は農水省にあったから言うのではありません。民間企業の人事に介入する権利は役所にはないのです。
しかも今回の事件でも、農水省は「行政指導」という形で対応しました。この行政指導というのがくせ者なのです。法律に明文化されていないことを、「指導」という形でやることが、日本の役所の透明性を失わせています。それに「指導」という言葉に、「お上が民を教育する」というニュアンスがあるような気がして、どうも変です。
そろそろ「お上」という潜在意識を払拭する時期に来ているのではないでしょうか。それは私たち自身の問題なのかもしれません。外務省の行動計画では「誤ったエリート意識」という言葉が削除されたそうですが、たしかにお役人の「誤ったエリート意識」は困ったものなのです。でも彼らにそういう意識を持たせてしまったのは、歴史的な経緯もありますが、「長いものには巻かれろ」と言ってきた私たちの意識の問題もあるのではないでしょうか。みなさんはどう思われますか。