誰のための外務省?―瀋陽の拘束事件で露呈した日本の弱さ
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年5月11日
中国の瀋陽にある日本領事館で「亡命未遂事件」が起こりました。彼らの亡命計画を支援していた市民団体などの手配で韓国の報道機関が一部始終を撮影していたため、中国の警察による「治外法権の侵犯」が世界に報道されました。この映像を見て、ショックを受けられた方も多いと思います。
日本という国は何とも「リスク」に弱いですね。中国において北朝鮮からの亡命は後を絶たず、日本の外務省は当然、そういった「駆け込み」があったときのことを想定し、一定の訓練をしていなければならないはずです。北朝鮮からの亡命者は、日本に親戚がいる人も多く、当然ながら日本への亡命希望者が少なからずいると予想されるからです。
しかし韓国のメディアが報じた映像では、日本の領事館員が中国の官憲に対し、強い調子で抗議する様子は見られませんでした。それどころか、領事館の建物に逃げ込んだ2人の男性を中国の警察官が連れ出すのも阻止しませんでした。敷地内にいる人間に対しては、日本政府が責任を持たねばならないのに、それを放棄してしまったのです。これでは日本の市民が何らかの事情で大使館に保護を求めても、果たして大使館はわれわれを保護してくれるのか心配になります。
瀋陽領事館員が「たまたま」気の利かない人だったから、こんなことになったのでしょうか。そうではないでしょう。外務省全体として、そういったときにどのような態度をとらねばならないのか、教育ができていないということの表れでしょう。教育ができていないというよりも、むしろ外務省全体にそういった姿勢がない、というほうが正しいかもしれません。
国会や政府のお偉方が外遊したときには、現地の大使館員は「アテンド係」としてハッスルするとも聞きます。海外で困った日本人が大使館に駆け込むと、けんもほろろの取り扱いを受けるとも聞きます。いったい外務省とは誰のための役所なのでしょうか。このような役人の「勘違い」は、外務省に限ったことではありませんが、外務省がいかにひどいか、機密費の問題も含めてすっかり国民の目にさらされてしまいました。まさに外務省を解体せよという声が出るのも無理ありません。
こんな折も折、国会ではいわゆる「有事法制」が議論されています。しかし有事法制を議論する大目的は、軍事的な危機から国民の身体・財産を守ること(それが日本を守るということです)。しかし主権を守ることにあまりにも鈍感な在外公館の実態を見せつけられると、こんな国の政府に本当に日本を守る気概があるのか、と言いたくなります。
中国に抗議するのは外交上当然ですが、国内的にはあの領事館の対応を責めなければなりません。そしてあのような対応が「組織ぐるみ」のものであるなら、これこそ機密費以上の大問題なのです。彼らは日本政府を代表して海外にいながらその自覚がまったくないのだから、外務省を総入れ替えすることも必要かもしれません。私は幸いにして在外公館で不愉快な目にあったことはありませんが、読者のみなさんはいかがですか。