「悪人」「善人」でかたづけるな
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年3月9日
鈴木宗男議員の証人喚問が11日に行われます。これで建設業者との関係、工事発注にまつわる圧力などが追及されることになるでしょう。事実関係がどうだったかは別にして、鈴木議員が地元への利益誘導、そして自分の政治資金集めに熱心だったことは明らかであるように見えます。地元企業が落札したものの、工事そのものは中央の会社に丸投げしたなどという話は、地元利益とはほとんど関係なく、自分の利益誘導としか言えないような気がします。
いま日本で一番嫌われ者といってもいい鈴木さんは、結局「悪者」として自民党離党、さらには議員辞職に追い込まれることになるでしょう。そこに異論はありません。しかし、気をつけなければならないのは、片方に「悪人」をつくると、もう一方は「善人」という構図になりがちなことです。それに、「だから政治家は……」と話を一般化しすぎる傾向も生まれがちです。
前にも書いたことですが、政治家が役所に対して、意見を言ったり、圧力をかけることが「すべて」悪いわけではありません。政治家は有権者によって選ばれた人たちであり、官僚は政治家がつくった法律に基づいて行政を行う人たちです。したがって、有権者の意向(それこそ民主主義の基本です)を反映しているのは、政治家であるということができます。選挙は、有権者が意思を表明するチャンスですし、政治家はその意向を受けて、かつ自分の良心と良識にしたがって行動する「はず」です。
だから、政治家と官僚が接触するのを禁じる、などというのはナンセンス極まりない話です。それこそ行政に対して文句を言うことができなくなってしまい、役所が「聖域」になるでしょう。問題は、政治家の意見なり、圧力が、公共の利益に合致しているのかとうかという一点でしかありません。地元への利益誘導だって、それ自体がすべて悪いとは言えません。しかしそれが結果的に税金を無駄遣いすることになるなど、公共の利益を害するものであれば「好ましくない」となります。
そのあたりをどう判断するか、誰が判断するか、という問題をまず考えなければなりません。まずは役所の判断ということになるでしょう。でも、その判断を説明できなければいけません。政治家が意見を言ったりしたら、必ず書類で残すというのも、その説明責任を果たすために必要なことです。もちろん政治家自身もなぜそのような意見を言ったのか、説明する責任があります。要は、何が行われたのかをすべて公開することなのではないでしょうか。それが公正な判断であることを保証する道です。
その段階で、政治の責任は有権者にかかってきます。なぜなら政治家を選んだのは有権者です。その政治家の行動が公開されて有権者がそれについて異議を唱えなければ、結局は認めたことになるからです。今は選んだ政治家が何をしているか知らされるような仕組みがないから、有権者は「まったくしょうがないな」とか言いながら、国会でのバトルを楽しむだけですんでいます。この傍観者でいられることが、日本の政治をおかしくしている根本的な理由だと思います。
政治家であれ、官僚であれ、大企業であれ、一般の個人とは比べ物にならない「権力」をもっています。だからこそわれわれ個人が、注意深くこうした権力者をチェックしなければなりません。そのためには、われわれ有権者や消費者に十分な情報が提供されるように要求すること、そしてもし提供されない場合は圧力をかけることが必要です。別に「権力」が敵であると考える必要はありません。そうではなくて権力と対等につきあうことが必要なのです。それが「自立した個」ということでしょう。
最近の海外論調を見ると、日本の経済も変だけれども、日本の政治はもっと変、といった感じが強くなっています。そして日本の政治が変なのは、日本の民主主義、もっといえば有権者がおかしいのだという論理になっています。いちがいに賛成しかねるとはいえ、私も日本を理解しがたいと感じることがあります。やっぱりおかしいところは「おかしい」と言ったほうがいい。お互いにおかしいという意見をぶつけあうところに、新しい時代へのエネルギーが生まれます。だから、みなさんの「異論・反論」大歓迎。そこが出発点になると思います。