どうしても抜けない「お上意識」
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年1月26日
アフガニスタン復興会議が無事に終わりました。緒方貞子さんを日本の政府代表に据えたのもヒットだったし、会議は近頃まれに見る成功だったという評価が得られました。一つの汚点を除いては……。
汚点というのは、アフガニスタン復興NGO(非政府組織)会議に中心的メンバーとして参加する予定だったジャパン・プラットホームなどのメンバーの参加を直前になって外務省が拒否したことです。この件は、各方面から非難を浴びて外務省はまた決定をくつがえし、結局は参加を認めましたが、後味の悪さが残りました。
しかも外務省の参加拒否が鈴木宗男代議士の「圧力」によるものだったと報道され、これを田中外務大臣が国会の場でも確認したところから、大騒ぎになっています。外務省首脳は、鈴木代議士が圧力をかけたとは言っていない、と発言。鈴木代議士は圧力などかけていないと否定。一方、NGO側ははっきりと鈴木代議士が怒っているといわれたと言います。結局、誰かが嘘をついているわけで、「言った」「言わない」の泥仕合となって、またうやむやになってしまうでしょう。
それにしても外務省や政治家の「お上意識」が鼻につきます。いつまでたっても民間団体を見下す癖が抜けません。もちろん外務省だけではないのです。民主主義の世の中で、官僚がこうも威張っているのはなぜでしょう。
それは彼らが、法律を盾にして権力を行使しているからです。許認可権というのは、民間の企業にとっては、会社の命を左右するものですから、そこに賄賂が発生し、そこに官僚の奢りが生まれます。人間の歴史の中で、行政機構というものは常に腐敗するものでした。だからこそ、権力の行使には「徳」が求められるのです。
現実には「徳」のない政治家も官僚もいっぱいいます(民間の組織でもそうです)。であれば少なくとも権力の濫用がないように監視機構をつくるというのが、民主主義を徹底する上で重要であることは明らかです。ある小説の中でこういうくだりがありました。アメリカの大統領が、都合の悪いことを言わないようにという進言を受けて「それでは私のボスに説明できない」と反論するのです。「私のボス」というのは国民のことを指しています。日本の首相も国会によって指名されているのですから、首相のボスは国民です。官僚のボスは内閣ですから、内閣のボスである国民は官僚にとってもボスです。ただ残念ながら官僚を選挙で「落とす」(つまりクビにする)ことはできません。だからこそ政治主導ということが重要になるのです。つまり官僚の権力行使が行きすぎないように政治家が官僚を「支配」していかなければなりません。ところが日本の政治家は、自分が次の選挙で落ちないように有権者の冠婚葬祭に顔を出すのに忙しく、勉強する暇もありません。また政策秘書を雇う金もないから、結局は官僚に頼らざるをえない。そうなったら政治家は官僚の代弁者になるしかないのです。
鈴木代議士も外務省に隠然たる力をもっている人として有名ですが、それではこうした政治家が官僚を有効に抑えられるかというと決してそんなことはないのです。つまりは「持ちつ持たれつ」という関係ではないでしょうか。
言ってみれば、このような権力のあり方はもう時代遅れなのです。日本は一応民主主義国家ということになっていますが、その民主主義も発展していかなければなりません。いつまでも旧体質の政治家や官僚がはびこっていていいはずがありません。そして大事なことは、国民も旧体質のぬるま湯にいつまでもつかっていていいはずがないのです。このような「事件」を見るたびに、政治家や官僚の悪口を言うだけではなく、自分の身を振り返らなければいけないのではないでしょうか。