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危険なテロの危険な対策(最終回 2004年3月27日)
どう責任を取ってくれる?
スペインも日本もイラク派兵には国民感情として反対だったけれど、それを押し切って首相の判断で派兵した、その仕返しにテロ報復されたのでは国民はたまらない。与党と野党と結束してテロ対策をしろ、のどこが挙国一致でしょう? 東京でテロは起こったら、小泉さんはどう責任を取ってくれるのでしょうか?(ミツチ)
議論を尽くしたか否か
挙国一致はどんな国にもあることだと思います。民主主義といっても、民主主義を否定する思想に対してまで、まったく寛容ということではないはずです。問題は、議論を尽くしたか否か、踏むべき手続きは踏んだか否かではないでしょうか。結果的に「挙国一致」なることは十分あり得ると考えます。ただ、日本のマスコミはわが身に危険が迫ると安易に「挙国一致」を唱え、平和なときには民主主義の大合唱をしているという感じはします。そういう意味で藤田さんのご指摘は、もっともだと思います。(A6M2)
ねじ曲げてとらえる視点が問題
「緊急の課題」という発言を、「挙国一致」とねじ曲げてとらえる、その視点が問題と感じます。「緊急の課題」というものが世の中にあるのは事実だと感じます。それを、言葉の遊びのように、もてあそび、論点をずれさせる。最近のマスコミにありがちな論戦で、稚拙さを感じざるを得ません。どうか、もう少し、大人の視点で発言してほしい。言葉じりをとらえること、それもその人の論法かもしれませんが、そのような発言が本来向き合うべき課題から、国民の興味を失わせているのだということに気が付いてほしいと思っています。(月の猫)
一瞬の判断の遅れが、一大事を招く
「挙国一致」は危険思想であるというのは理解できるが、危機管理のための「挙国一致」もあり得ると思う。一瞬の判断の遅れが、一大事を招く可能性もあるということを忘れてはならない。責任ある立場の人が正しい判断をすれば、それに機械的に従うことで助かることもあると思う。それにしても、混乱を避けることは不可能でしょう。(きんかん)