ホーム > news&policies > 「私の視点」 >


自信を喪失した日本人(2003年8月23日)
新しいものをつくる気概の喪失
昨日今日と休暇を取り、生まれて初めて鹿児島に行きました。島津藩のお国です。行きの飛行機では、リップルウッドの日本テレコム買収の記事を読み、帰りの飛行機では同社のハウステンボス買収の記事を読みました。
現在、企業価値が低い時に日本企業を買収して、株価と景気の回復を待って、経済が回復して消費が伸び、企業価値が上がった時点で売却する、きっと日本企業に売却するのでしょうから、日本はリップルウッドにごっそりとお金を持っていかれるのでしょう。同時にPFI(Private Finance Initiative)で新日鉄が霞ヶ関合同庁舎入札に落札し、オリックスが羽田拡張工事に参入というニュースもありました。島津藩の新しいもの好き、薩英戦争でもイギリスと五分の交渉をするその確たるアイデンティティー、進んだ産業。
日本は自信を喪失しているわけではないと思います。今の50代、60代の、日本を右肩上がりで作ったといい、実は日本を駄目にした世代の負の遺産、(馴れ合い・利権主義、年功序列)こういったものを修正したのが、この失った10年だったのです。
もともと西洋に卑屈になる前の戦前の日本人は、立派なアイデンティティーや信念があったのです。PFIをすれば奇抜な方法を提唱する企業はあるのですから、日本人の自信喪失ではなく、社会構造の閉塞感が新しいものをつくる気概を喪失されていたのだと思います。構造改革が進み、働かずして利権をむさぼることでは、ご飯が食べられないということが明らかになれば、芽生え出しているPFIのようなニューベンチャーはさらに闊達になるでしょう。要は構造改革です。(ミツチ)
サラリーマン的な仕事の仕方に問題を感じる
事業再生ファンド、もちろん目立っているのは先陣を切ったリップルウッドやローンスターかもしれません。しかし、日本人でやっているアドバンテッジパートナーズやユニゾンも頑張っているでしょうし、地銀、都銀ともに各行特別チームを配置して、何とかおいしい汁を吸い取られるだけにならないようにと躍起になっている最中ではないでしょうか。ファンドの数も増え、今は「雨後のたけのこ」のように、もしくは「猫も杓子も」というように再生ビジネスばやりだ、というのがわたしの印象です。
そして、自信を喪失している、というよりは、いつも思うのですが、減点主義的なことなかれ主義、と適正な報酬、評価の欠如、がやる気をそいでいるのではないでしょうか。大企業病かもしれませんが、どうしても、何もことを起こさずに管理職を目指して、安泰な中流家庭を築こう、と国民の80%から90%が目指した結果、リスクテークをする主体がなくなったり、儲けるべきところを、ただ同然で外人に売り払ったり、ということになっているように思えます。
上手く説明できていませんが、もう少し貪欲にできるところがあるのに、トップダウンで「売れ」と言われたら、サラリーマンとして失敗がないように何のリスクもとらずに投売りして、そこを外人がすくって儲けている光景がそこかしこで見受けられます。
もしそこで、「今は安値だから売らないで保有して、あとで売りましょう」と言って個人的にリスクをとって後で50%上で売った場合にも、そのサラリーマンの報酬は安値で売ったときと変わらない、評価も大してされないのであれば、誰もリスクをとりません。そのあたりのサラリーマン的な仕事の仕方に、とても問題を感じることがあります。その50%を外人が持っていっているのです。会社としてみれば、簿価をゼロに落としているので、ゼロ以上で売ればどのみち利益は計上できるのでしょうが、それを最大化しようと誰もしていないのです。(はるたいママ)