ホーム > news&policies > 「私の視点」 >


核武装はタブー?(2003年2月22日)
日本の核武装には反対です。なぜなら、唯一の被爆国である国が同じ悲劇を引き起こす可能性のある武器を持つことに、国民としては納得できないからです。感情的な理由と言われるかもしれませんが、国民の大半は、同じような気持ちなのではないでしょうか。広島や長崎の被爆者の声に、もっとも近くにいるわたしたち日本の国民が、核兵器に感情的に拒否反応を示すのは、当然のことだと思います。そして、この正常な拒否反応をもっと世界に向けて積極的に打ち出すべきだと思います。
現在、非核三原則がありますが、これをニュージーランドが持つ非核法のように法のレベルまで高め、「日本は核のない世界を目指す」と国際社会にはっきりと宣言し、被爆体験を世界に向けて語り続けることが、日本の役割ではないでしょうか。では、最後の手段として日本は何を保有すべきか。わたしは国連という枠組みだと思います。国連主導の軍縮にもっと積極的に関与する。たとえば、各国が兵器を解体するためのノウハウや資金面の援助など可能ではないでしょうか。また国連平和維持活動への自衛隊の参加に関しては、参加の範囲を許容できる限り広げる方向での議論を、PKO法の改正を含めて検討する余地はあると思います。
自衛隊の積極的な海外派遣は、一方でアジア諸国の懸念を生み出します。日本が積極的に軍縮に向けて活動するためには、同時に戦争責任とアジア諸国への謝罪を明確にすることが不可欠です。首相が靖国を参拝したり、学校教育で戦争責任について教えない、というのはもうやめてほしいと思います。
「核は持たない」と宣言し、国際的な枠組みで核軍縮を目指す。それが日本の選択すべき方向性だと思います。では、ひとりの人間として何ができるか。国家や国益を守ることが国民を守るという考え方ではなく、一人ひとりの生活を守ることが紛争を防止するという「人間の安全保障」という考え方を、草の根レベルで世界中に広めていけたらいいなあと思います。イラクにしても北朝鮮にしても、核兵器とはまったく関係のない次元で、日々の生活を一生懸命営む人間の生活があるわけです。それを守るために必要なのは、戦いではなく協力や連帯なのではないでしょうか。(文月・栃木・パートナー有・38歳)
観念的な平和論で「平和」が訪れないのはわかっていますが、ヒステリックなまでの北朝鮮脅威論を聞くにつけ、9.11を好機として対イラク戦争を推し進める米国の新保守主義政権の野望とそっくりではないかと思いました。ケンカに勝つためには相手より強力な武器を持ちたいというのは、古今東西を問わず権力者、軍部の心理です。北朝鮮の振舞いを奇貨として、日本の核武装化を持ち出すのも、そうした誘惑に駆られてのことでしょう。核兵器の悲惨さを体験したのは、日本人だけです。核武装化に走るよりは、国連などの場でその廃絶に向けて声高に叫び、外交努力を続けていく。愚直ではあっても、その道を突き進むことが、広島、長崎で何十万の死者を出した日本の使命だと思います。(ワード)
核武装は反対です。ダブルスタンダードの立場を取ってきた日本ですが、それはそれ以外の道が取れなかったからです。今日本が核武装したら、ダブルからトリプルスタンダードになるのではありませんか? 世界に向けて日本が叫んできたものは何だったのかということになりますよ。日本の運命なのです。貫くことで姿勢を持つ、武力ではない方法で北ともやり合っていくべきでしょう。(Sagi)
関連情報
