失望してますか? 2002年2月23日
日本を愛してあげなくては
別に日本を脱出することもないと思います。日本には日本なりのいいところもあり悪いところもあり、なのです。わたしが思うに、日本はよくアメリカなんかと仲良くしているなぁと思うのです。
日本とアメリカは恋人のようです。アメリカはひもと言っても良いでしょう。なぜなら、アメリカは昔日本が好景気だったころ、常に金の無心をしたように思います。それに対して、日本は「しょうがないわねぇ」と言わんばかりに次々と出して、お金が尽きバブルがはじけたとたんに、手のひらを返したように「不良債権処理」をどんどん要求し、あげくの果てに「自分でなんとかしろ」です。
都合のいいときに金をせびりにきて、金が尽きると「なぜ、金を持ってないんだ」と怒り、自分の都合が悪くなるとみんなの前で非難する(G7のときもそうだったような)。たしかに日本は戦争に負け、アメリカに支配されていたときもありました。だから日本は引け目を感じているようなところもあると思います。でも、日本はこんなにお金が底をついてるにもかかわらず、いろんなところに援助しているではないですか。
小泉内閣であろうとたとえ田中(真紀子)内閣になろうと意味がないと思います。だれかに変えてもらうとかそういうことを思ってる国民がいけないんです。もう、国がしてくれないとか言ってる場合ではないと思います。自分たちで変えていかなくては何も変わらないのだと思っています。
せっかく日本に生まれ日本で生きているのだから、日本を愛してあげなくては。今、わたしたち日本人に足りないのはそういう絆ではないでしょうか。そう思いながら、子育てしながら働いています。(バツイチ子持ち29歳の母)
「変だ」と言えない日本
本当にどうやったらこの国がよくなるのだろう、とよく考えます。
まず、「これは変だ」と思っても声をあげにくい環境が日本にはあります。人と違うことをする人は、冷たい目で見られるからです。実は、「変だ」と声をあげてみると、そう思っていたのが自分だけではなくてほかにもいることに気付くこともあるのですが、それも誰かが声をあげなければ、ほかの人にはわかりません。
さらに、実際に声を上げてみても、なかなか支持が得られないこともあります。「そんなこと言っているのはあんただけだよ」「なんかおかしいんじゃないの」というような無理解に直面しなければならない場合も珍しくないと思います。その結果、藤田さんが書いておいでのように、「わたし一人が声を上げても世の中は変わらない」と思ってしまうのだと思います。
日本にいると、「自分が何かを変えられる」という体験をすることがあまりありません。小学校時代から社会人になるまで、自分の力で何かを変えた経験のない人は、自分の力を信じられなくなり、次第に「わたし一人じゃ何も変えられないさ」と、無気力になっていくのではないでしょうか。
今、日本の外にいて働きながら、仕事の上で「わたしは何かを変えられる」という体験をすることがあり、それが「こんな自分だってやれば何かできるのだ」という自信につながっていくことを感じています。
一人ひとりが現状に絶望せず、「1人が1ミリ動かせば、10万人では100メートル動かせる」という事実を信じる必要があると思います。本当に、一人ひとりの小さな変化の「その積み重ねでしか世の中を変えられない」と思います。(匿名)
失望を形に
見切りをつけたいなら、国外脱出?
でもどうやって脱出したらいいのでしょうか?
子どもの教育は?
家のローンは?
そんなことが全部解決したとしても、老後の生活資金や社会保障は?
独り身だって、仕事は?
じゃあ、「革命」に参加する方法は?
「わたしも不満なんです!」、誰に電話すればいいのでしょう?
そんな大袈裟なことではなくても、自民党を支持しないポーズをとるのはどうしたらいいのでしょう。きっとみんなも不満がいっぱいあるのでしょう。でもその不満をどう、声に変えたらよいかわからないのです。
「日本の国民は失望することを知らないようだ」――失望していても、失望を表現する方法がわからないのです。表現する方法がわかってもそれを叫びに変える手段がないのです。
10年前よりも、5年前よりもジャーナリズムのありようは進化していると思います。昔なら公にできなかったことも、今、知らしめしてくれています。失望するネタもきちんと報道してくれているのでしょう。次は、「わたし一人が声を上げても世の中は変わらない」というわたしたちの声を、積み重ねて、わたしたちの不満も失望も形にして、世の中を変えられないものでしょうか。(匿名)
乗りかかった船じゃないですか
イギリスの『エコノミスト』に日本に対して辛口記事があったそうですが、それを受けて日本政府を批判したところでどうなるというのでしょう。乗りかかった船じゃないですか。みながただ批判をして、小泉総理の支持率低下を叫んで、何が変わるんですか?
何で応援しないのか、新聞やマスコミの記事を丸呑みにするのか、わたしには全然わかりません。国民が追い風になれば、小泉総理も守りに入らず改革を推し進めてくれると思います。川口外相も、いろいろ言う人がいますが、結果を見ないうちに結論を急ぎすぎです。自分が大事な政治家と官僚、たくさんのヘドロとウミをためた日本を最初から背負わされた今の小泉内閣です。
そんな日本になるまで政治に無関心だった国民が(わたしたちが)今さら支持率を盾に足を引っ張るなんて無責任です。(はなうさ)
選挙の時に正しい情報提供を
原稿の最後のほうで書かれているように、確かに彼らを選ぶ力を持っているのはわたしを含めて「選挙民」であるのに、選挙の結果から見れば利権がらみの政治を「許容」していることになっていますよね。
たとえとして、非常に不適切かもしれませんが、第2次世界大戦下でヒットラーは数多くの非人道的な行ないをしましたが、彼の政府の存在を意識・無意識問わず「許容」していたのは「国民」である、という言い方がよくされています。状況や背景がまったく違う中で、あえて言うならば、「私一人が言っても変わらない」と思って、本来許すべきでない政治を許している、という構造は同じなのではないかということです。
そう言う意味で、わたしたちはもっと激しく「失望」するべきなのではないか、それをきちんと表すべきなのではないかと思います。
ただ、わたしのように、毎日会社に通うOLが選挙に行く一方で、地方や講演会や支持団体などの組織票が政治家を支えているという事実があります。そのような数の力の前で、なんの力もなく、ただ1票あるだけのわたしが何をしたらいいのだろう、と途方に暮れてしまいます。現在の仕組みが間違っているからといって、それに変わる仕組みを提案する力もありません。
そんな状況で、わたしが希望するものは、選挙の時の正しい情報です。党の名前や候補者の経歴ではなく、この候補者は何をしようとしているか、それに現実性があるのか、それによってどうなるのか、という詳しい解説です。もちろん、どこかの党のバックアップを受けるのではない、中立のものです。新聞などでそのような情報は提供されていますが、非常に一般的であり、無難です。わたしのようなOLという層のためには、その層に絞った情報提供があればいいと思います。(匿名)
政権交代こそが効果的調査機能
今回はほぼ同感です。政権交代して、前政権の手口、人脈、官僚・業界との関係などすべてチェックすべきです。よく言われることは、「今の野党、とりわけ民主党に政権能力があるのか?」
あるいは、「与党も野党も不正、圧力団体の体質は変らないのではないか?」との意見です。それはそうかもしれませんが、チェックは充分機能すると思います。田中真紀子が外交の資質がないとか、官僚をまとめる能力がないとか、あれほど言われながら、これほど外務省と政治家の不正癒着を暴露できたのだから、駄目だ駄目だと言われている野党もその立場になればできます。少なくとも今の与党なみにはできます。与党以上にできなくても現与党の恥部を暴くには充分機能できるはずです。(h.n)
有権者改革なくして政治改革なし
有権者の成熟論に大賛成です。これまでにも有罪判決を受けた政治家が選挙に立候補して再選する、というヘンな現象があちこちにありました。子どものころ、「どうしてなんだろう?」という思いで見ていました。
今回の鈴木宗男議員の件も、世論と地元産業界の意見とはかなり温度差があります。うまい汁を吸ったほうと、その税金を払ったほうとで違うのは当然なんですけれど。地元に有利に取り計らったら、それに対して政治献金という代償を支払うのは当然という構造は、日本全国にあることだけは間違いないようですね。だからいくら有罪判決という決定的な結論が出ていても、「アノ先生は地元に金を持ってきてくれる良い先生だ」という評価が変わらないし、構造も変わらない。やっぱり有権者が悪いんですよ。
一番の問題は、若い世代がちっとも一線で経験を積めないってことなんですよ。肩書きだけ○○長とか付いたって、実際に大きな決断をするような責任や駆け引きなどを経験をしていかないとまったく育ちません。わたしは外資に勤めているのですが、アジアパシフィック圏の責任者が30代前半だったことがあります。彼は非常に有能な人でした。他の企業との合併話を最初から交渉して、最後まで話をまとめあげたりということもやっていました。他のマネージャークラスも30代と40代がほとんどでこの人たちが実質的に会社を動かしています。
日本も長老たちには一線を退き若い世代に交代するという懐の深さを持ってほしいものです。それと同時にわれわれ若い世代には責任感と自立が必要ですね。
真紀子さんは「政治改革なくして構造改革なし」と言われましたが、その前に、もうワンステップ。「有権者改革なくして政治改革なし」。(シアン)
鈴木議員はスケープゴート?
ODAの疑惑、その他もろもろの疑惑が鈴木議員にかかっています。野党は鈴木議員が田中議員の問題で知名度がでたので、鈴木議員を矢面に立たして責めれば、与党崩しのわかりやすい形としているのでしょう。そして、与党は疑惑のすべてを鈴木議員個人の問題として、かたづけるのでしょう。
でもODA利権疑惑(ODAに限りませんが)は、わたしが小学生のころからあった問題。鈴木議員個人の問題ではないはずです。政治の膿を出すためにも、野党には引き続きがんばってもらって、小泉総理もそれを正面から受けて政治改革をしてほしいものです。
「自分の力ではどうしようもない」と、わたしもよく聞きます。政治の話題の「オチ」みたいに、最後はその言葉で締めくくるというか。主人とはよく政治の話、経済の話をしますが、先日、彼がうっかりその言葉で締めくくったので、「それを言っちゃおしまいだよ。居酒屋でも話題にすることが、大切だと思うよ。政治の腐敗はある意味、無関心な国民の責任でもあるわけだから」。
政治家になる人、政治を解説・分析・評論する人は別だと思います。政治家とは別にオピニオンリーダーになる人を国民は求めています。わたしは政治・経済の知識は浅いので、政治家にもオピニオンリーダーにもなれませんが、日本国民、今の時代を生きる人間として無関心ではいられません。
それにしても、小泉総理の支持率の低下はなんなんでしょう。小泉総理を支持していた人は何を支持していたのでしょう?
顔?
だったら、この支持率はむしろ妥当なところなのかな。(匿名)
今が「チャンス」
わたしは今がまさに「チャンス」の時だと思っています。小泉内閣の構造改革が思うように進まなかったり、改革の中身が妥協の産物のようになってしまっているのは、ひとえに族議員と呼ばれる人たちの存在があるからです。族議員は鈴木宗男氏だけではありません。医療改革や道路公団の問題を見ても、どの議員がどこの省と癒着があるのか、国民にはよく見えているではありませんか。改革を外務省だけにとどまらせるべきではありません。すべての省とその族議員の関係を暴き出し、癒着の構造を解明し一掃する。そうすれば、改革のスピードは上がっていきますし、税金の悪質な無駄遣いも減らすことができるでしょう。国民の関心が、かつてないほど政治に向いていている今を逃したら、もう政治改革は断行できないかもしれません。不況の今だからこそ、国民の目は厳しいのです。政治家の不正を許さないのです。
国民は失望はしていないと思います。なぜなら、族議員だとか、政と官の癒着とかいった問題が存在することは皆知っていたからです。ただ個人名や具体的な事実が表に出てこなかったから、怒りようがなかっただけではないでしょうか。鈴木氏と外務省の関係が取りざたされた今、国民は他の省と政治家の関係もすべて明らかにしてほしいと望んでいます。これからいろいろなことがわかってくるのではないかと期待している国民もいると思います。改革が外務省だけで終わったら、国民は本当に失望してしまうでしょう。そういう意味でも、小泉内閣は国民の期待を背負った内閣なのです。国民の声に耳を傾けて、構造改革とともに、政治改革を行なってほしいです。(匿名)