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くさい臭いはもとから断たないと 2001年11月24日
女性がもっと働く社会を作ればいい!
地方に行くと田圃のまん中に突如巨大な建造物がそびえ立っているのに驚くことがあります。パルテノン神殿風の町役場であったり、オペラハウスみたいな温泉会館であったり……。もうこんな馬鹿馬鹿しいこと止めてほしい。でも、どうすればいいのでしょう。そう、わたしたちもちゃんと代案を言わなければならないのですね。
女性がもっと働く社会を作ればいい! リストラにあったお父さんが必死で職を探しているドキュメントをニュースなどで見かけます。見つかってもこの収入ではやっていけない……、だったら、妻がパートの収入を増やすか、正社員の職を探せばいいのに。歯がゆい思いで見ています。そうは言っても仕事が無い今の時代、もちろん甘くないでしょう。でもお父さんの職探しだって甘くないのです。その位の覚悟で探せば、1千万稼ぐ仕事を男性が探すより、300万の仕事を求める女性のほうが見つかりやすいのではないでしょうか。妻が300万の仕事を見つければ、夫は700万の年収を確保すればいいのです。
昔バブルの始まったころ、「小金持ち」という言葉が流行りました。家は買えないから、そのかわりいっぱい贅沢しよう。シャネルのブレスレットにはバカラでロマネコンティ。次々と浪費を提案したのは働く女たちでした。でもわたしたちも勉強しました。もし、再びバブルの収入が手に入っても、もうあんなことはしません。が、女が働くことが最も大きな景気づけになるのは事実でしょう。男の仕事を増やそうと思うから、大きな公共投資しか思い付かないのです。女を働かせるのに必要なのは、保育園とそこに働く保母さん。もっと大きい子どものフォローをしてくれる楽しい塾。ケータリング。介護士。就職斡旋のシステム。地方だったら、農業の活性化。どれもそれだけで雇用に結びつくではありませんか。そして女たちが働きはじめ、自分の家の家計に安心感が生まれれば、財布のひもも緩みます。女でもいつでも働けるという自信が将来の不安も解消してくれます。しかも立案から竣工まで何年もかかる建造物と違って、その反応も早いでしょう。どこの妻も初めてのお給料もらったら、即「ちょっと贅沢」をしてしまうのですから。そうやって考えると住宅金融公庫なんかいらないかもしれません。
一生ローンに縛られて大きな家に住む大金持ちではなく、小金持ちのほうが豊かに暮らせるはずです。もしかするとそれはそのまま、環境を守りながら日本の国を立て直す方法論になるのではないでしょうか。(匿名)
どこへ行っても自然は二の次
今までいろいろな観光、レジャーのごく普通の楽しみ方をしてきました。海で海水浴、雪山でスキー、星空の下でキャンプファイヤー、温泉でのんびり……、子どものころは大人に連れられて、成長してからは友達と一緒に。でもそのころは日本も豊かさを追っていたころで猫も杓子もレジャー、といった状態だったと思います。われもわれもと海へ山へ、そこで目にしたものは混み合った電車で我勝ちに席を取り合い、やっとの休みで忙しく遊んで帰ろうとしている都市労働者たち。子ども心にも大人の醜さに触れたショックとその嫌悪感から、その後の旅行を楽しめませんでした。
しかし、これは遊びに行く人の心にゆとりが無かったんだと思います。また、観光地も客寄せのために客に迎合するということだったと思います。学生時代に行った山小屋では、「水はポンプで汲んでますから、好きに使ってください」と言われました。わたしはしばらくあいた口がふさがりませんでした。山が好きで山小屋に若者を歓迎してくれている、人生論なんかともに語りしばしこの世の憂さを忘れさせてくれるそんな山の番人、と勝手に思い込んだわたしが悪かったのでしょうか。
そんな経験ばかりなので、どこへ行ってもしみじみと心の洗濯をしたという気になれず、日常性を忘れさせてくれる場所は日本には無いかもしれない、という気がしていました。藤田さんのお話にあるような、対立する立場の違いは無いのです。楽しもうとする者と楽しませようとする者が、自分たちの気持ちを満たすために一生懸命になると、自然は二の次にされるようです。
わたしは、今年の夏は青春18切符で山陽本線を一駅一駅かみしめるように旅してきました。停車するたびに開く扉からは夏のエネルギッシュな、それでいて爽やかな風が舞い込み、都会にいては出会えない自然の息吹を感じさせてもらってきました。38度の猛暑も私には自然を感じさせてくれるものの1つでした。人間だけでこの世は出来てるんじゃない。動物も植物も土も水も風もその構成要素だよ、と教えてくれているようでした。自分がこの自然界の砂粒の1つだと再確認して、また自分の生活に戻っています。(Fumikaw)
未来の子供達に何を残せるのか?
便利さや生活環境の快適さを求めがむしゃらに日本全体が努力してきましたが、ふと気が付くと自然は無くなり、排気汚染、公害問題、地球温暖化による異常現象で春、夏、秋、冬の四季が無くなってしまった状態、またITの普及、携帯電話の異常とおもえる普及ぶりはじっくり話し合い、語りあうことも忘れさせてしまっています。さしたる努力もせずに、お金さえあれば大抵のものは手に入る世の中になりました。しかし未来の子どもたちに、何を残してあげられるかを真剣に考えたとき、背筋が寒く感じます。
今わたしは市民ネットで、東京都と世田谷区の行政に関わっております。ごみの問題、子育て、教育、福祉などを考えますと、今何をすべきかを真剣に考えるほどお先真っ暗です。特に昨年孫ができ、成長を見ますにつけて、孫が成人した時どんな世の中になっているかを考えると、今やらなければ取り返しがつかなくなるとの想いは募りますが、果たして何から正すべきかが分からない状態です。大人が、自分だけ豊かに、快適に暮らせば良いと思う視点を変えて、21世紀に何を残していくかを真剣に考える時期に来ているように思えます。(東瑛子)
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