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「いびつな国」からの脱皮 2001年9月29日
「仕方ない」で終わらせないチャンス
戦争放棄は、確かに理想でしかないかも知れない。でも、こういう機会だからこそ「仕方ないこと」で終わらせないチャンスなのではないのでしょうか? 戦争を起こすのは男の人だけなのはなぜかと考えた時やはり男の人は子どもを産まないからだと感じました。わたしは子どもが産めないのですが、それでもやはりこの事件以来、小さな子どもを見るにつけ恐ろしさと不安が押し寄せて来ます。
振り上げた拳を下げる勇気。それこそが本当に必要な時なのに……。
わたしは当然戦争経験はありません。そんなわたしに戦争の恐ろしさ、愚かしさを教えてくれたのは数々のアメリカ映画でした。経験してるからこそ描ける悲しさ、恐ろしさ、愚かしさなのだと思って見てきました。それを伝え続けることそれこそが何より大切だとも教えられました。
「エンドオブザワールド」という映画をぜひ見ていただきたい。 あるはずはない核戦争が起きた後の話です。派手なシーンはありません。淡々と最後の時を迎える残された人たちの話です。「仕方ない」はずの戦争で「家族を守るため」と戦った軍人が後悔の涙を流しながら、放射能に侵された自分の子どもに安楽死のための注射を射ち、妻と二人で結婚してからの話をしながら自分達も薬を飲むシーンがあります。
ラストは命令に背いて核のボタンを押さなかった潜水艦の艦長が、最後に愛した人とワインを乾杯しながら迫り来る放射能が遠くに見える海岸でのシーンでした。
わたしは今ほど子どもが産めない体になったことに感謝したことはありません。情けないことです。こんなことでこの体を許せる日が来るなんて……。(匿名)
国民と国家は別のもの?
わたしは今の日本が単なる「平和ボケ」とは考えたくありません(一部その通りなことは認めざるをえませんが)。やはり、「目には目を」の報復は避けるべきだと思います。北海道新聞の調査でも、70%余りの人々が報復には反対という結果が出ています。当国アメリカでも、急速な結集とおっしゃいますが、学生が中心となって反戦デモも行なわれているようです。インターネットによる請願サイトにも十万以上のアクセスがあるといいます。それに国内のイスラム教徒たちへの嫌がらせを止めるよう、これは大統領自身も声明を出しています。
一方、タリバン政権の幹部は避難したという報道もありました。これには本当に憤りを覚えます。結局、報復から戦争へと突入すれば、もっとも犠牲を強いられるのは、やはり民衆なのです(わたしはその中には軍人も含まれると思います)。既に難民も増え続けていると言います。
そのような中、日本政府は議員立法での制定に躍起になっています。他の主要国に遅れを取っただとか、何でもアメリカ追従の日本国では、軍事支援が最重要課題となっています。これが国民の総意といえるでしょうか。
そもそも今回の事の発端は、テロによるもので、戦争の奇襲攻撃とは違います。このまま戦争になり地上戦へと突入すると、泥沼化することは目に見えていると聞きます。それを、あまりにも安易に進めているとしか見えません。そして日本国はその尻馬に乗っている。
このテロは、経済テロとも言われています。実際、その前から世界的に経済停滞へと向かっていた中、テロを境に急速に株式市場も落ち込んでいます。日に日に悪化しているようです。それを放っておいて、報復だと騒いでいる場合なのでしょうか。(YU)
日本独自の価値観からどう動くべきか?
先週と今週のコラムを拝見しました。確かに日本は、軍事ということにあまりに理想主義的になっている、というか目をそむけてきたのだと思います。ある意味では、憲法を都合のいい口実にして、自分の身に直接危害が加えられることなどないと、自らを信じ込ませてきたような気がします。
ただ、湾岸戦争の際の失敗を繰り返すな、といった風潮には、素直に共鳴できないものがあります。湾岸戦争だって、今回のテロだって、日本人のどれだけが、どこまで状況を理解しているというのでしょうか。発信される多くの情報が、アメリカに偏ったものであることを考えると、何を真実として受けとめればいいのかわからなくなってしまいます。国連全体で進めたあの湾岸戦争だって、根本的な問題は解決はできなかったこと、新たな憎しみを生んだのではないかと考えると、湾岸戦争で日本が果たすべきであったことは、今回叫ばれてるような軍事的な協力であったと、本当に考えてよいのでしょうか。
そういう意味で、今週のコラムで、日本人が殺されたことをどう考えるか、という問いかけは、新しい視点をわたしに与えてくれたように思います。アメリカから要求されるからではなく(アメリカの正義に合致するからではなく)、日本独自の価値観からどう動くべきか、何をすべきなのか、きちんと議論し、きちんとそれを世界に伝えていかなくてはいけない、そう思いました。(野田康子)
理想と条件
今回の事件で特に強く思うことは、ほとんどの人が「対岸の火事」的に考えているようだということです。「アメリカで起こったアメリカ人が犠牲になった事件」という認識なのでしょうか? 同時に日本人の犠牲者が十数人である。あるいは他国にも大勢の犠牲者を出した。それだけの認識でいいのでしょうか? 今回の事件で日本人の犠牲者が出なければ、日本国として何もせずにいられるでしょうか?
憲法に違反しないために新しい法律を作ることはそんなにいけないことでしょうか? 「今回のこの事件に限る」という条件付きで、政府を信じてみるわけにはいかないでしょうか? 韓国や中国が、日本の自衛隊の動きに敏感になっていることもよくわかります。しかし、対話のできる相手ならそれこそ粘り強く理解を求める努力は惜しんではならないでしょう。このまま事件を放置すれば、アメリカだけでなく次は日本が、韓国が、あるいは中国かその他どの国が犠牲になっても不思議ではないのだと思います。
暴力はいけない。戦争は絶対にあってはならない。これはひとつの「絶対的理想論」と言っても過言ではないでしょう。しかし、理想が理想であるためにはそこに最低限の条件やルールが必要だと思うのです。条件やルールが破られた時、同時にその理想論が成立しなくなることは、悲しいかな事実であるという気がします。(Hiroko♪)
それでも平和的解決を
確かに、今回のことは許されることではありません。日本人もたくさん犠牲になりました。
日本の政府は今、いかにアメリカに気に入ってもらえるか、世界に前回のように笑われないようにするかしか考えていないように思います。日本が持つ平和憲法は世界的にも認められています。数年前、オランダ・ハーグで行われた世界会議でも日本の平和憲法に習いという条文が第一番目に挙げられていたほどです。理想といってしまえばそれまでですし、時代に合わないというならどんな時代に合わないと言うのでしょうか。
今回のことも最初はテロリストといっていたアメリカは大統領の怒りにまかせて21世紀最初の戦争になってしまっています。このまま、世界を巻き込んで戦争をするのでしょうか。それが本当の平和を生むのでしょうか。
中東の国には戦争状態しか知らずに育ってきている子どもたちがいます。苦しみ、貧しさの中で、戦いのある毎日が異常なことでもなくなってしまっている人たちがいます。そんな国から生まれたテロリストに、言葉だけで、解決を望むのは難しいかもしれない。でも、環境・教育を整え、互いを理解することをしなくては、今回うまく首謀者を殺し、懲らしめることができても、結局新たな憎しみと悲しみを生んで同じことの繰り返しです。そして、その痛みをよく知っているはずの日本人が信念をもって、今こそ心落ち着けて平和的解決に向け全力を尽くしてほしいとおもいます。(匿名)
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