
「生きている価値がない」と……(イスタンブール・関東)
思春期のころまではよく考えていました。家庭環境が悪かったことを「自分のせいだ」と小さいころ思い込み、極端に内向的な性格でした。幼い子どもにとって家庭は唯一の世界なので、それがうまくいかないと、とことん悪く考えるものなのです。自殺を考えていた理由は、「自分は生きている価値がない」と思うのと同時に、「自殺すれば周囲に注目を浴びるのではないか」と思っていたのだと思います。そのころの自分を思い出すとかわいそうに感じます。
「仕事・趣味・猫」が引き留めている(星みづき・東京・パートナー無・39歳)
自殺、何度も考えたことがあります。それどころか、もっと若い(幼い)ころに死んでいたらどんなに良かったか、と思うこともあります。今のわたしを引き留めているのは仕事と趣味と猫です。今死ぬのは仕事を放棄すること、猫の飼い主責任を放棄するということになると思うので、今はできません。病気になって何度も手術をしたり、副作用の大きい薬を飲んだりしてやっと「生かされている」状態になるのであれば、尊厳死を選びたいと思っています。
お金さえあれば……(イクラ・東京・パートナー無・42歳)
最近は漠然と「死んで楽になりたい」と考えることが多くなりました。友人と会社を経営していますが、原因はその資金繰りです。先の見えない不安で眠れないこともしばしばあり、そんな状況から開放されたいと思ってのことです。でも、年老いた両親やそんな会社に協力してくれる方のことを考えると実行に移せる勇気はありません。独りで考えているとどんどん煮詰まってくるので、いろんなクラフトに凝ってみたりして気を紛らわしています。はたからはこんな時に!と誤解を受けそうですが、わたしにとって自殺衝動をリセットする唯一の手段です。まさしくお金は魔物、経営手法にも問題があるのはわかっていますが、現時点ではお金さえあれば……と思っています。
奇跡の連続で生きている(wakano)
生きているエネルギーがどこから生まれてくるのかはまったくわかりません。不思議です。しかし生命って不思議の連続ではないですか?奇跡の連続で生きられているのかもしれないな、とも思います。不慮の事故や災害、病気などで亡くなった方々を見るにつけ、そう感じることがあります。

時間を味方にして何とか抜け出す(bluemintwater・東京・パートナー有・38歳)
子どものころから人間にはつらいことがつきものですよね。誰も守ってくれない八方ふさがりの状況を、時間だけが味方をしてくれてやっとのことで抜け出し、その後にはほんの少しの明かりが見えてくる。何度も何度もそんな体験をして生きてきたわたしは、「自殺」という選択肢を考えることがありません。どんなときにも、誰にも助けてもらえない、つらいつらい真っ暗な状況でも、多分また時間を味方にして何とか抜け出すだろうという自信が、子どものころのつらい経験から得た唯一のご褒美だと思うのです。
自分自身のマネジメントを(あしたま・大阪・パートナー無)
お金と時間って同じだと思うので、お金があれば自殺がなくなると一概にいえないような気がします。確かに企業のオーナーがお金の調達のために自らの命と引き換えにしたり、不慮の事故などで経済的な問題をかかえるなど、本当にやむにやまれぬ事情もあると思います。でも、一般的に時間があると思っていたら、いつの間にか時間がなくなってしまうように、時間もお金も、自分自身もどれだけマネジメントできるかどうかにかかっているのでしょうか。
国・政府・世間の冷たさが原因?(ミトン・東京・パートナー有・39歳)
かなり小さいころ、「自殺と殺人は人間が決してやってはいけないことなんだ」と、とても強烈に自覚しました。特に何かがあったわけではなく、ある日ふと思ったのです。それ以来、考えは変わりません。命というものはイコール可能性だと思います。それを誰も奪うことはできないし、何があっても自らそれを手放してもならないと、とても大切な生きていくポリシーとして持っています。ですから、このサーペイでYesの人が結構いることにショックを受けました。でも、最近気になるのは、なぜか世の中がとても寂しくなってきていること。何かの答えを出す時に、国が政府が世間がちょっと冷たく感じます。そして、顔を合わせて話すことが仕事でもプライペートでも以前より少なくなったと思いませんか? 大らかに許し合ったり、認め合ったりする枠が狭くなってしまっているような、とても漠然とした社会のすさみを感じます。
母の「決してへこたれない温かい底力」に教えられ(Pururu・東京・パートナー有・43歳)
明治生まれの祖母は体が弱く、戦争もあったのでかなり身近に「死」が存在していたようで、二言目には「死ぬ、死ぬ」と口にしていました。そんな祖母のそばにいたわたしは、物心ついたころには、人一倍生死について敏感だったように思います。反面教師でしょうか。母(祖母の娘)からは、ことあるごとに、真剣に命の大切さについて教えられてきました。何があってもへこたれないという温かい底力を感じます。そしてわたしは幸せなことに、生まれてきたこと、生きていることに感謝して毎日を送っています。なぜかはわかりませんが、一度も考えたことはありません。ちなみに無宗教です。
サポートが欠如した日本社会(りんべる・イギリス・パートナー有)
月並みですが、人間は一人では生きていけません。周囲のサポートが、精神的なものであれ、経済的・社会的なものであれ、とても大事です。それが満たされないと人は自殺に追い込まれてしまうのかなと思います。困っていたり、悩んでいる時に、本音で話し合える家族・友人がいる、経済的に困窮したときに親身にアドバイスをくれる役所の職員がいる。他人なのにわたしのことを気にかけてくれる人がいると実感できるだけでも、人はかなり救われる気持ちになれるのでは? つまり、現在の日本はこうした包括的なサポート体制が欠如し、さらにはお金がすべてを解決する(お金がなければ何もできない)という社会風潮が強く、生きるのが難しい社会なのかもしれません。
生きるのに理由はいらない(いまいくん・埼玉・パートナー有・41歳)
「生きる意欲というのは、いったいどこから生まれてくるものなのでしょうか」とのことですが、そんな意欲はないですね! 死ななきゃいけない理由も原因もないから、特に「○○のため」ってのはなくても生きてます。ただ、ふと「自分は必要な人間なのだろうか?」と思うことはありますね。死ねば家族や友人は悲しんでくれるでしょうけど、それも一時的なもので、すぐに忘れられてしまうでしょうし、仕事の面でも会社が困るのは一時的なものでしかないでしょう。そう考えると死にたく……はならないんですね(笑)。