
国によるLDの診断の違いとは? (Jayster)
LDについて調べていたときに、アメリカの方が日本よりも書字障害が多いのだと知りました。LDが先天的な障害なのであれば、国によってこのような差が出ることは、とても不思議なことのように感じました。これは、英語やアルファベット言語のほうが学習が難しい、などの言語構造の違いによるものだと考えるべきなのでしょうか。それとも、アメリカだったらLDと診断されるような子どもが、日本では(現場の教師や医師の知識不足などから)見過ごされていたり、単に読み書きが苦手な健常児として扱われている、ということなのでしょうか。「一つの国でLDやADHDと診断されるということは、他の国でも同様に診断されるということなのか」ということに、帰国子女として、とても関心を持っています。
LDの気があるかも、と言われました(マダムアルディ・パートナー有)
私の三番目の男の子は、自分が今したいことを抑える事が出来ないというところがあり、集団生活において心配に思い校長先生に相談したことがあります。小学校1年生の時でした。校長先生は、「ほんの少しLDの気があるのかもしれません。ただ、同級生の子供達の話しを聞く限りですが。」と言われました。また、年子の上の子のクラスにはとても乱暴な子がおり、その子の問題が話題に上がると、「子供達には一定の割合でLD/ADHDの子供がいることを理解して下さい」と言いました。この対応に私は少々無責任さを感じました。結局、やはり専門家の意見を聞きたいと思い公機関の専門家に相談しました。結果としては問題ないとのことでしたが、この子は人よりも理解したり習得したりするのに時間がかかるとの実感で、毎朝送り出すときには、「授業中席を立たない」「先生の話はしっかり聞く」と子供に言わせてから学校に送りだしています。
些細なことでも気になってしまう(IPウーマン・36歳)
子供はみな落ち着きがないものだ、と思っていたので、私自身はないですが、昔から子供に多く触れてきた夫が、「ちょっとおかしくないか?」と盛んに気にしていました。確かに、いつもうそうそ落ち着きがなく、気に入らないことがあると火がついたように泣く。でも好きなことに関してはものすごい集中力を見せる。もしかして自閉症? と少し疑いました。しかし、今はごく普通に保育所に通い、お友達とも適度な関係を築いているように見えます。周りのお友達や先生の話も、聞けば色々話してくれますし、取り越し苦労だったようです。一人目の子供は親もよくわからないし、どうしても他の子と比べてしまいがちなので、些細なことでも変なのかしら? と思ってしまうのではないでしょうか。それにしても、統合失調症、認知症に続き、「自閉症」という言葉も何とかして欲しい、と常々思っています。もちろん、言葉だけ変えれば済む問題ではないですが。
母親として失格なんだと思っていました(mayami・神奈川・パートナー有・49歳)
疑ったことがあります。長女が他の子とどこか違うように感じて、もしかしたらと思いました。主人に相談すると、そんなふうに考える私に問題があるというようなことを言われました。はじめての子供でもあり比べる対象もなく、うまくいかない子育てに自分は母親として失格なんだと思っていました。子供ひとり満足に育てることも出来ないダメな人間で生きている資格もないと思っていました。この子はなぜ人よりも物に興味があるんだろう。なぜ理由もないのに急にに火がついたように泣き叫ぶんだろう。名前を呼んでもなぜ無表情で遊びに熱中しているんだろう。そもそも私が母親だという事をわかっているんだろうか。コミュニケーションがうまくとれない子供との毎日に疲れ果てていました。そして一歳半健診で保健婦さんから、「お母さん、お話がありますのでちょっと残って下さい」と言われた時には私が母親として問題があるので子育ての指導を受けなければいけないんだと思いました。20年以上前のことですけれど今思い出しても辛くなります。その後、保育園、幼稚園、小学校、中学、高校、大学と本当にいろいろな事がありました。現在、長女は今月24歳の誕生日を迎えようとしています。診断名は自閉的傾向から始まり高機能自閉症、アスペルガーなどその時々でいろいろで、どう違うのかまた同じなのかわかりません。ただわかるのは世の中で理解されにくい障害を抱えて、それでもなんとか親亡き後も自分の力で生きていかなければならないということです。今はまだ大学に在学していますが、そろそろ卒業させなければいけません。卒業したところでこの子が働かせてもらえる場所はあるのだろうか、また親が動いて探さなければいけないのかなとも思っています。