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2004/11/15(月) - 2004/11/19(金)
1日め:テーマの背景 | 2日め | 3日め | 4日め | まとめとリポート
2日め

テーマ不登校生は、落ちこぼれか?

投票結果 現在の投票結果 y17 n83 これまでの投票結果の推移
凡例
キャスター
一色真司
一色真司 代々木学園代表

みなさん、たくさんのコメントありがとうございました。正直言って、もっとYESの方が多いのかと思っていましたが、少し意外な気がしております。 YESと答えた方からいただいた投稿にあった、「社会で生……

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これまでに届いているメンバーからの投稿

YES

学校は集団の中で社会性を学ぶ場(gomame000・千葉・パートナー無・30歳)

集団の中で学ぶべき社会性を身に付けるのは、家庭も学校も同じ。経済的理由以外での不登校は、単に忍耐力のなさを認めてしまうだけだと思う。

折り合いをつけていく力を学ぶ場所だから(まけぞう・パートナー有・41歳)

どちらかに投票しなければならないので、あえてYESにしました。

中学校の養護教諭です。不登校の生徒や、いわゆる保健室登校の子どもたちが落ちこぼれか否かはわかりません。ただ、私が接したそのような子どもたちは、そうでない子どもたちと比べて社会に適応する力が未熟で、人間関係をうまくやっていく力や状況の判断、適応力が弱いとは思います。学校や社会のシステムに問題があることは否めませんが、おおかたの子は、その中でなんとか泳いでいくわけです。矛盾や葛藤を抱えながらも、我慢やずるさを身に付けてなんとか折り合いをつけて生きていっているのではないでしょうか? 

学校は同年齢の子どもたちを集めた小さな社会だから、本物の社会よりも息苦しいとは思います。でも社会に出たら出たで、もっと厳しい面もたくさんありますよね。評価だって、会社でもあるでしょう? 大人だって同じでしょう?

学校の教職員は、教育だけではない、本来家庭の役割であるはずのしつけや心のケアまで要求されています。その一つ一つが時間がかかるもので、結果もすぐには目に見えません。あっぷあっぷです。個人に目がいっていないといわれても仕方がありません。

この社会で生きていく限り、社会が悪い、システムが悪いと言っても始まらない、と思います。その中で泳いでいくたくましさや我慢強さ、自己表現の方法をうまく身に付けて人と関わっていける、自分なりに楽しい毎日だなと思えるといいなと思います。

数多くではないけれど、不登校や保健室登校の子どもと関わってきて、そう思います。

NO

学校は絶対的なものではない(いつき・大阪・パートナー無・27歳)

難しい質問ですね……。「不登校生は不良品か?」と聞かれれば、100%の気持ちでNO! と答えますが。学校社会から見ると確かに「落ちこぼれ」になってしまうと思いますが、人間として落ちこぼれ、ということではないですから。大体、学校社会が絶対的なものではないはず。そういう意味では、「世間の見る目」というのは凝り固まりすぎていて、たまたま学校社会に適応できない子供たちにとっては、可哀想な世の中だと思います。

教える側の見直しも必要では(一期一会・神奈川・パートナー無・43歳)

不登校生が落ちこぼれという考え方は、非常に短絡的な思考だと思います。私が学生だったころ、つまらない授業は聞かずに自分で勉強していました。学生にも問題はあるのでしょうが、教える側に問題がないのか、見直すことが重要だと思います。

不登校も自己主張の1つ(ミラノ・埼玉・パートナー無・26歳)

不登校生=落ちこぼれとは思いません。

不登校自体が、自己主張の1つだと思いますし、学校に通わなくても、自分の特技を生かす方や、人一倍感性の豊かな方も多くいると思います。

学校、家庭以外にも子どもの居場所を(ヒロカ・千葉・パートナー無・30歳)

いつも不思議に思っていたんですが、なんで子供の居場所って、学校と家庭以外になかなかないんでしょうか?

私自身、高校のときどっちもイヤになってしまい、あれこれ考えて、アメリカへ留学しました。行ってみて、「ああ、学校と家以外にも世界って広がってるんだ!」と実感できて、価値観が広がってよかったです。

登校拒否をしてしまう子にも、寄り道が出来る場所や、学校以外で学べる場が必要なんだと思います。

「落ちこぼれ」と切り捨ててしまうけど、それは、ある一つの枠に入れなかっただけじゃないかと思うんです。もっと、いろんな居場所が子供たちにあるといいと願います。

悩みの表現がそうなってしまうこともある(でばこ・青森・パートナー無・21歳)

理由がなく無気力な人は落ちこぼれだと思うけど、若い時は悩んでもはけ口がわからなかったりするので、不登校という形になったという子もいるかもしれない。

無理やり家から出すよりは……(binko・大阪・パートナー有・41歳)

高校生だった息子が、ある日、朝起こしても起きなくて、学校に行きたくないと言って行かなかったときがありました。そのとき私は、「年間の1/3まで休んでも留年にはならないのだから、休むのなら休んだらよい」と言って、パートに出かけました。そのことを息子が友達に言ったらしく、友達に「変わっている」と言われたそうです。彼の親なら、どんなことがあっても行かせるだろうというのです。私の考えは、学校へ行かせるために家から出したとしても、学校にたどり着かなくて途中のゲームセンターなどで時間をつぶすなら、家にいた方が、息子が安心だと思ったのです。

卒業してから何かの話題からこのことに触れたところ、あのときは、自分は何も悪いことしてないのに自分がやったようなことを言われ、みんなが嫌いになったらしいのです。何日間か休み学校ヘ行ったら、みんなが謝ってきたので、また、行くことができたらしいのです。

昨日までのみなさんの投稿を読んで

学校制度の枠組みそのものを問う必要性

みなさん、たくさんのコメントありがとうございました。正直言って、もっとYESの方が多いのかと思っていましたが、少し意外な気がしております。

YESと答えた方からいただいた投稿にあった、「社会で生きていく限り、社会が悪い、システムが悪いと言っても始まらない」、「忍耐力を身に付けなければ」などは、私もその通りだと思います。みなさんの中でも、同様のご意見をお持ちの方も多いのではないかと思います。

10年前には「登校拒否」と呼ばれており、その後、学校に行かないという意味から学校に行っていない現象を指すようになり、「不登校」と呼ばれるようになりました。当時、学校へ行かない行為は社会的には許されるものではなく、親や学校は、ひたすら隠すことを行ってきました。

時期は不確かですが7〜8年前に、当時の文部省が新たな動きを見せました。「登校拒否は誰にでも起こりうる」発言や、その後のフリースクールへの登校の在席学校での出席としての認定など、全体的な容認の動きがあり、それまで隠し続けられてきた数字も、明らかになるようになりました。

しかし、現状の小・中学生の不登校生13万人という数字には、先に述べたフリースクールで出席認定を受けている者、保健室登校、教育委員会がかかえる適応指導学級などへ通う児童生徒は含まれておらず、実際教室に入れない子どもたちは、その数倍ともいわれています。

社会的容認、擁護の背景に押され、いわゆる怠学(タイガク)と呼ばれる便乗組も多く出始めているのも事実です。この便乗組とそうでない者の線引きは、どうやって行うのでしょうか。

不登校生自体がレアケースではなくなってきている現在の状況下では、緊急避難として不登校生をとらえるのでなく、学校制度の枠組み自体を考えなくてはいけなくなってきていると、私は思います。

引き続きコメントをお待ちしております。

一色真司

一色真司

代々木学園代表

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