
認定介護度を上げるための、「痴呆のフリ」(osasan・福島・パートナー有・60歳)
介護保険は貰わなければ損……という意識をうえつけているところに介護保険制度の問題があるのではないでしょうか。介護度2より3のほうが保険をたくさん使えるという制度のため、審査のときにわざわざ痴呆度が重いふりをする。それって本当に自分にとってプラスなのかと聞きたくなります。本当に介護が必要な人が手厚い介護を受けられるしくみを作っていくべきです。高齢社会=介護人口の増加=介護保険制度で縛る、という考え方自体が日本の福祉制度の貧しさを物語っていると思います。福祉施設を次々建てて、どんどんそこに送り込もうという発想、何とかならないでしょうか。あまりにも短絡的です。そんな考えだから、介護職員が足りない、手が回らない、ほったらかしという現状に陥るのです。介護職員が不足するから賃金の安い海外からの人材を輸入すると言うのも疑問があります。若い介護士のほうが賃金が安いからいいというのも、おかしいです。そんな政策を立てている人は、じぶんは介護されないと思っているのでしょうか。高齢者にも人権もあれば心もあるのです。介護保険が貧しかったら、これからの高齢者には夢も希望もなくなるじゃないですか……。介護保険は、安心して老後が送れる社会を作るために使われなければならないと思います。そして、いま健康な人は、これからも介護されない人生を歩むために真剣に介護予防を考えなければならないのです。無理に痴呆のふりなどする人生は歩まないで欲しいと思いますし、そんな人がでてこない介護保険制度にしなければならないと思います。
周囲の連携が必要(sai1019・広島・パートナー無・26歳)
現在縁あって、介護者の教育に携わっております。現場では、介護の質などが非常に取りざたされています。しかし、仕事の内容のしんどさや給与の面(低賃金)からなかなか、長期的にそして継続的に働く人がいないことも事実だと感じています。また、それらの理由から、なりたいと思うよりも、なんとなくとりあえず学んでみるというスタンスの学生も少なくないようです。QOL(人生の質)の向上やADL(生活日常動作)の向上などICFの考え方を取り入れたアセスメント(事前調査)を行ったりと、考え方の教育は進んできているように思います。しかし、1人の高齢者の周りにいる人々の連携がうまく取れていません。例えば、医者・看護士・介護者といった、現場での関係者の身分・待遇の格差が挙げられます。介護者こそが、利用者とその家族の意見を最もよく知っているはずなのに、それをうまく伝達できないでいるという点についても、とても残念です。身体への介護も生活援助に対する介助も、受けているのは生きている人間です。そのことを忘れて、介護がルーティンワークになっていはしないか? と問いかけたり、問いかけられたりする日々です。そこには心があり、コミュニケーションをとりつつ信頼関係を培っていくことが必要だということを、教育の中でも学生たちに伝えていくことは大変難しいですが、尽力しています。あせって書き込んでしまい、推敲もままならないままの投稿おゆるしください。
費用・制度・人材が疲弊しないように(noruru・大阪・パートナー無・34歳)
考え方の基本は、少子化対策と同様と感じます。「家にいる(はずだった)女性がやれば良い」的な発想のもとに補助金や施設を考えているのではないでしょうか。同居で30年近く過ごしてきたものの本音です。子育てなら大抵は、成長があり、報われるものもあるやに聞いています。が、介護は終わりもなければ、報われるものが少なく、やっただけ損をするんじゃないかと思える瞬間さえあります。また、介護は24時間体制で時間感覚が薄れ、理屈の通らなくなる人間の相手をするのです。現状では、3時間かかっても自分で洋服が着られれば「自立」しているとされます。「要支援」をもらうために、助けてもらうために、どれだけの努力が必要なのか、制度を運営している方々はご存知なのでしょうか。審査の際にも、年を取ったとはいえ、本人はプライドがあるので「いいカッコ」をして、本来の状態よりも症状が軽く見えることもしばしばです。費用、制度の運用、予防、支える人材、社会が疲れきらないことを考えるべきではないでしょうか。
女性が多く、収入の低い職場(しきままちゃん・大阪・パートナー無・60歳)
10年ほど介護にかかわる仕事をしてきました。その中で感じたことは介護保険の導入で、ある程度家族でない他人が家に入ることや、介護をしてもらうこと対する抵抗感が薄れたこと。介護保険だけで老後を支えるには限界があること。お金のある人はいいが、ない人は利用したくてもできないこと。独居の女性に比べ、独居の男性は自立度が低いこと、などがあります。でも介護は社会の考え方が大きく影響されるところです。ヘルパーをはじめとする介護業界で働く人々は、自活できるだけの収入を得ることが難しく、圧倒的に女性が多い職場です。女が看るのが当然といった考え方が、プロの社会での安い労働力を成立させているのです。
介護とは誰のためか(まんたれい・東京・パートナー有・40歳)
2年近くの介護の末、昨年末に要介護5の実母を亡くしました。リウマチに起因する頚椎の損傷から、四肢が麻痺、食事はおろか、自分で涙を拭くことも出来ない状態でした。主たる介護者は70歳を越えた父で、遠方に住む姉と私は、週末を相談してやりくりし帰省しておりました。結局のところ、介護保険の対象と、医療保険の対象が違い、制度の違い(要するにお金の出所の違い)によって規制があるため、十分なことができないまま病院では3ヶ月を超えると次の病院へ移り、老健系の施設には、最年少入所。自宅介護をしようとすると、使用する薬などの関係で病院へ逆戻り、など、結局は介護を必要とする本人の思いや家族の努力とは裏腹に、規則や制度に振り回されてしまったように思います。これから、こういった問題は他人事ではなく、介護とは誰のためか、という根本的な問題に立ち返り、高齢化社会に提案して行きたいと思います。
各施設の目的を知って利用すること(はいどちゃん・埼玉・パートナー有・32歳)
老健施設で勤務しています。介護保険が導入され、サービスを選択できるようになったことは良いことだと思いますが、「どこの施設も一緒」と思っている人が多いと感じています。病院、特養、老健、GHなどそれぞれの目的を追求していければ目的に合わせ選択でき、制度も機能していくものだと思います。しかし、そこには解決していかなければいけない問題もあります。老健を例にとって課題を挙げるなら「老健での医療行為は点数が取れない」ということがあります。そのため、医療行為が必要なご利用者は老健利用を断られることもあります。入所中の医療行為は点数対象外です。その前に利用を断られるケースも多々あります。バルーンが入っているとダメ、シャント管理が必要な人やIVHはもってのほかなど。医療ができる老健は病院での長期滞在を減少させ、リハビリを行いながら在宅復帰が目指せると思います。そして施設によってはまだまだ劣悪な介護を行っているところも、質の高いサービスを行っているところも介護報酬は同じ、ということ。第三者評価機関など活用し、「利用者が選ぶ良い施設ランキング」などの導入、そして質の高いサービスを提供している施設には割り増して報酬を支払うまたは、劣悪な介護を行っている施設には報酬のカットなどで福祉業界全体のモラルアップに努めて欲しいと思います。